石戸(2010)「排除社会における教育原理の分化と接合」/本田(2011)「強固に残るボーダー」

あとこれも読んだ。

  • 石戸教嗣(2010)「排除社会における教育原理の分化と接合:労働の変化に対応する教育概念のシステム論的再編(〈特集〉「教育」概念の再検討)」、『教育學研究』77(4)、日本教育学会
  • 本田由紀(2011)「強固に残るボーダー:自閉化する日本の学校教育に対する社会システム論からの示唆(〈特集〉教育・福祉・労働-ボーダーレス化の中での教育学の役割)」、『教育學研究』78(2)、日本教育学会

はなしわかんなかったんでルーマンのと、あと参照されてる論文も読んでみたけど、わからんものはわからんわね。

ルーマンの論文にありがちなこと:説明してるつもりらしいが理由になってない。

田中論文 p. 72 におけるルーマンからの引用:

「コード化のために必要とされる明確でまとまりのある意味世界が教育システムに欠如していることが、教育システムに固有な象徴的に一般化したコミュニケーション・メディア(…)が発展しなかったことの理由である。」(Luhmann 1987b: 185)

で? 教育領域には なぜ「まとまりのある意味世界が欠如」してるんですか?