ニーチェルーマンな あっち系 必死だなwの人たち

諸先生方と並んで名前を挙げていただきますと なんだかちょっとえらくなたーよな気がしますが気のせいですかそうですね いささか おもはゆい気持ちもいたします

■2004/01/30 (金) 私なんか、能力とおカネと暇は腐るほどありますが
ttp://www.nakashimalaw.com/essay/hatanaka/index.html
タイトルもここから。
バックナンバー読むと「ごりごりの人だ」というのがわかるんだが、どうしてニーチェ系の人はみんなこんな感じですか。
こういう人はネットとか周囲とかでたまに見かけますが(例えばとつげき東北)、驚くほどみんな言ってることが似ている。まずみんな2ch大好きね。サイトも2ch語頻出ね。何でなんだろう。あと、必ず異性の話をしたがるのも同じ。「俺様はモテるから、そのへんの一般高学歴オタクどもと一緒にするなよ」という雰囲気がひしひしと伝わってくる。服装や美食に無関心なのも共通項だ。そんなものは最小限でいいんだ、という感じ。
まあ、彼らにとっての価値序列というのが知性≒社会的な成功>モテる>その他になっているということか。
昔はこういうのを見ていちいち苛立っていたが、こうして見てみるとその必死さが透けて見えて穏やかな気持ちになる。それにああいう言い方をしないだけで、基本的に同じような考え方の人は周りに多いし。自分だってそれほど遠いわけじゃない。
で、彼らにもうちょっとナイーヴなサブカル風味をつけ加えると社会学系(っていうか宮台真司)になったりするのではないかと思う。そういえばルーマン読んでるやつもあっち系が多いな。宮台真司がまずそうだし、北田暁大は2chの論文書いてたしはてなやってるし、酒井泰斗は2ch語大好きだし…。というわけで、ニーチェルーマンに走る人々のメンタリティは何なのか、それは宮台やナベツネがかつてガリガリ共産主義者だったことと関係があるのか、という話になるようなならないような感じだけど、面白そうなのではてなの人とかやってください。 
これは上の話題とは独立して数日前につくづく思ったんだけど、僕は自分でも驚いてしまうほど「勝ち負けでしか物事を捉えられない」人間だというのがわかった。これは自虐に見せかけた自慢とか冷血気取りとかようするに「結局そんな自分が好き」という話ではなくて(少なくとも違うと思いたい)、結構根の深い傾向でどうしようかなあ、と考えている。直せるなら直した方がいいような気もするが、どうしたものか。特に自身に関わる重大な問題ほどこの傾向があるような気がする。

  • 篠崎直俊さん>シノザキの日記 システム日記:ttp://www2.diary.ne.jp/user/116930/
    • 移転先:ttp://shinozaki.blogtribe.org/archive-200401.html



ていうか君、それをいうなら「ゴリゴリの共産主義者」、だ...。
google:とつげき東北‥‥?



てことで。面白そうなのではてなの人とかやってください*1

*1:何を?