たまにはこれでググっても見る。google:ルーマン。

もうちょっと、どんな疑問なのかがわかるとうれしい気がするんだが。
でもなにしろ、とにかく すごいむつかしい文章なんだよ。まぁ読んでくれたまえ。


「やっぱアンタ官僚的だね」って感じ
それを一番感じたのは機能分化したシステムの閉鎖性批判に対するルーマン的意見(?)をまとめた中の次のところだったんだけど
・・えっと....例の「言語ゲーム」的トートロジーってやつをシステム論のとこにも応用させての言い訳って感じのとこ

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 システムを全体社会に対して閉じられた、「固有論理」にのみ即して動いていくリジッドな存在と捉えるか、それとも自己の環境である全体社会との「開かれた」対話を通して自身を変化させていく柔軟な存在と捉えるかは、二次的な問題に過ぎない。どちらも、システム内部で引かれた区別によって分割された項目を再びシステム内部において結合するための異なった、しかし機能的には等価な方策なのである。むろん両者からは異なった帰結が生じてくるから、どちらを焦点として理論を展開するかは有意味な選択肢を形成するだろうが。
 ルーマンの「閉鎖性」テーゼへの批判者たちは、前者では不十分であって後者への「パラダイム転換」が必要であると主張していることになる。しかしルーマンにとってこの分岐は、さしたる意味をもたないのである。

・・出た
「さしたる意味がない」、と
そして、そこから「だってそんなこと言ったって全部システムの中で予定調和なんだゼ」みたいな話になってくわけさ...
・・・そんなの分かってたよ(大分前に)

おい。どこから飛び出てきた 「予定調和」

──と、「予定調和」概念に向けて話しかけてみる私♪

ていうか「分かってた」のか!
ならいいじゃん!(だめ?)

これじゃ、システムの変化のとこまで記述できてないじゃん
なんか、すごく統制的だな....(変化を好まないのね)
だから「官僚的」っていわれるんだよ

そうでしたか...(ω・`)。

たぶん、社会学的基本で、全部の要素を平均的な感じで仮説立てして見ていったんだろうけど....
「平均」・・過ぎるんだよ
「主体」の頑張りなんてどこにも考えられてないのね
(記述されていたとしても、「対批判用に“ちょこっと”」、って感じでしょ?)
・・・・・・やっぱ、頭のえらい人はギリギリの頑張りが足りんからなぁ.......
まぁ、いいや、自分で考えよ、っと

うんうん。それがいいよねきっと。

ていうか これは詩だねっ!

「無責任」って言ったのは、こういう言説を真に受けて苦しんでいた人間が現にいたってことだよ(ぼくとか・・各情況に暮らす人々とかね)

んむーそうですかー。
よくわからないけどまぁガンガレヽ(´ー`)ノ