日射報告 id:contractio:20061029
- 社会システムの経験的記述とはいかなることか──佐藤俊樹のルーマン批判を手がかりに──
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jss/research/conf79_pmain.html
に対していただいたご質問に継続的にお答えするスレ。
フォーラムに投稿。
■報告で述べたこと:
- 〈システムがある〉とは、〈構造と作動の構成(=相互可能化)関係*が成立している〉ということだよ。
社会学的システム論の課題は、それを経験的に特定することだよ。
- ところで、社会学史をみると、すでにたとえば「共在」や「順番取り」や「行為の連鎖」について、〈構造/作動〉のペアを特定する議論があるよ。
つまりゴフマンやサックスが採り上げた それらは、ルーマンの謂ういみで「システムである」といえるよ。
* (長岡 2006)isbn:4326601957 からの引用参照のこと:id:contractio:20061010
これをルーマンは作動的閉鎖とかオートポイエーシスとか基底的自己準拠とか呼んでいるよ。ところでエスノメソドロジーな人はこれをリフレクシヴィティーとか呼ぶことがあるよid:contractio:20060131:1138642175。
これをルーマンは作動的閉鎖とかオートポイエーシスとか基底的自己準拠とか呼んでいるよ。ところでエスノメソドロジーな人はこれをリフレクシヴィティーとか呼ぶことがあるよid:contractio:20060131:1138642175。
というわけで、
- ルーマンは、ゴフマンをパクってるくせに、肝心なそこんとこを見逃してるよ。
- ルーマニ屋のひとは、「システムの特定」ということに関して、ゴフマンとかサックスとかから学ぶ(=真似る)べきことが すごくたくさんあるよ。
ということなわけですよ。(‥‥そこまでは言いませんでしたが。)
さて。
■質問1:
「共在」や「順番取り」や「行為の連鎖」は独立だといえるのか。
いえるよ。(未遂。)
■質問2:
〈構造/作動〉のペアを特定できたからといって、そこに「システムがある」と言えるのか。
質問2の人はずるいです。まず自分で、「システムたちがある」ということに対する積極的な規定を与えてください。
佐藤さんだってちゃんと(?)やってます id:contractio:20061019
- 【S1】システムという語を使えるのは、「要素からなる全体」を指定できるときだけである。
- 【S2】「全体の同一性をたてること」とは、「当該やりとりにおいて、そのやりとりの全体が主題化されること」である。
- 【p1】「社会システム」とは、「社会秩序の統一性」のことであり、秩序が統一性をもつとは、それが局所的である、ということであり、したがって、
- 【p2】「社会システムたちがある」とは、「局所的な社会秩序たちがある**」ということだ。
- 【k0】「システムがある」とは、「構造と作動との相互可能化(=構成)の関係がある」ということだ。
* 反省的自己準拠。社会システムの自己主題化。
** 「或る局所的な社会秩序の外には、別の局所的な社会秩序たちがある」ということ。
** 「或る局所的な社会秩序の外には、別の局所的な社会秩序たちがある」ということ。
そして、この「外」は──因果的・時空間的ないみでの「外」ではあり得ず──意味的なものである.... and so on.