- 作者: 西阪仰
- 出版社/メーカー: 金子書房
- 発売日: 1997/04
- メディア: 単行本
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そこで著者は、「作動的閉鎖」と ほとんど直接に重ねあわせる事ができるような仕方で 「リフレクシヴィティ」について論じています。
- 他方、(フーコーの謂う)言説の編成と(EMで謂う)リフレクシヴィティとの関係については、たとえばこの論文が参考になります:
- 「フーコーとルーマン」については.... ちょっと思い当たりません。「空白」ですねぇ。(私が知らないだけかもしれませんが。)
ちなみにgoogle:フーコー+ルーマンでググると見事にハバーマス先生絡みのネタしか引っかかりませんな。
- ハーバーマスは主体哲学の批判において近代哲学全体を総括し、認識主体を核とする意識哲学(反省哲学)から労働主体を核とする実践哲学への展開を踏まえて、歴史哲学的に構成されたマクロな主体の概念を批判し、その帰結としてフーコーの権力概念やルーマンのシステム概念を批判した(‥)
- ハーバーマスは「近代の哲学的ディスクルス(フーコーにおける全面的な理性批判の袋小路と、新保守主義における機能的理性の全面的な肯定)」のたどった道を原点にまでさかのぼりそこにおいて理性のパラダイム自体を転換し、主体哲学を脱出する別の道をたどろうとした
- つまり、フーコーとルーマンのパラドキシカルな理論的照合関係は主体中心的理性のアポリアにとらわれた近代の社会的実践のパラドックスを反映するものであり、そうした実践の原理となる「労働」の限界にかかわる問題とした
いやぁ...。あっはっはっは。反論不可能ですよぅ。
「権力論」と「システム論」て。水準の違うもんを一緒に並べて論じてる時点で もうすでに踏み外しちゃってるわけで。
【追記】
こちらに引用文をアップしました:http://d.hatena.ne.jp/contractio/20060131/1138642175