佐々木『夜戦と永遠』

2008年の著作。
第三部だけ読んだ。
文体の臭みがエグすぎてどうしようもないが、そこは我慢して読む価値あり。著作や講義録を丹念に追って解説してくれる便利な本である。
それにしても、「法をプロトタイプにして社会を捉えるな」という方針のレベルでは ルーマンフーコーは一致しているのに、フーコーの方は そこから先の やり過ぎ感が半端ない。言わなくていいこと言って自分の首絞めてる。この点ではルーマンのほうがずっと穏当だわね。

夜戦と永遠 フーコー・ラカン・ルジャンドル

夜戦と永遠 フーコー・ラカン・ルジャンドル

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第一部 ジャック・ラカン、大他者の享楽の非神学

第二部 ピエール・ルジャンドル、神話の厨房の匂い

第三部 ミシェル・フーコー、生存の美学の此岸で

  • 第一章 「権力と戦略」
  • 第二章 フーコーの「転回」──「アッティカ刑務所について」と「真理と裁判形態」
  • 第三章 規律権力の戦略(一)──『監獄の誕生』
  • 第四章 規律権力の戦略(二)──『精神医学の権力』と『異常者たち』
  • 第五章 戦争・生権力・人種主義──『社会は防衛しなければならない』
  • 第六章 セクシュアリティと「規律的生政治」──『知への意志』
  • 第七章 第二の転回──統治性とネオリベラリズム、そしてイラン革命
  • 第八章 生存の美学の此岸で──『主体の解釈学』『快楽の活用』『自己への配慮』
  • 括弧 アンスクリプシオンの不死──『アンチ・オイディプス』に関する註
  • 結論に代えて──可視性と言表可能性、そして「賽の一擲」
本書のフーコー批判は、フーコー屋さんにとっては致命的で・頑張って反論しないといけないものかもしれない。が、その他の読者にとっては その批判の帰結(例えばこんなの↓)はごく常識的なものであるように思われる。
無駄な挑発する人って 自分の言葉で足を掬われるよねーっていう。
 だから、ものごとをこう理解しなくてはなりません。主権の社会が規律の社会に、ついで規律の社会がいわば統治の社会に取って代わったのでは全然ない、と。…[『安全・領土・人口』]
 もはや、すでに高名となりつつあるこの部分を提示して、この三角形が全面的に融解する場所が剥き出しのなんとかだとか難民だとか言うような、疎隔を欠いたマネージメント原理主義者たちの言うことはどうでもよろしい。フーコーは、遂に、「彼が主権と呼ぶもの」が「消滅」させることができない何かだと気づいたのだ。… 主権と規律と生政治あるいはセキュリティ装置などという文字面に振り回されるのはもうやめよう。彼が描き出したいのは、さまざまな装置が設置され、その間に鬩ぎ合いがあり、全然別種のものかと思えた装置同士が突如として結合して新しい主体を生み出す、その「歴史的賭場」のありのままなのだ。統治性という概念は、そのことを示す概念以外の何かではない。[526]
 確認する。完全な自己統治性は、存在しない。法なき、掟なき、「厳格な会員規約」なき「生存の美学」など、実は存在しない。… 国家への批判、リベラリズムの自由、自己への配慮や生存の美学、そしてこれらのものの雑多な寄せ集め──こんなものには何の意味もない。[552]