タイプ別性格判断

http://www32.ocn.ne.jp/~emina/

ENTP型でした。
私自身のセルフイメージとはずいぶん違いますが、(ある環境においては)周囲の人にそう受け取られているかも、という気はします。

一般にT型の女性は社会で流れに逆らって生きる傾向があるが、ENTP型だとことのほか厄介である。客観的な面が、当意即妙の頭の良さや競争心、議論好きなどの形であらわれると、たいていの男性から敬遠されてしまう。とくに古めかしいシステムや人物を相手にすると、ついその限界を試してみるたちである。競ったり試したりする性質は人を萎縮させたりうんざりさせたりするが、面白いことに、ENTP型の男性の場合は、その同じ性質がプラスのイメージに見られる。もっとも、違うタイプの人をうんざりさせるという点ではかわりない。http://www32.ocn.ne.jp/~emina/entp.html

私は競争は苦手だし避けて通ってきた結果の【この人生】ですが?
ていうか、「たいていの男性から敬遠されてしまう」てw。 あなたなんの権利があってそんなことを。


ところでこの質問に笑った。

◆ 質  問 ◆

  • 自分の意見を言っているだけなのに、よく怒っているのではないかと誤解されることがある。

「Yes」ですとも。えぇえぇ。
なんとかなりませんか。今後の人生でもいろいろと損しそうなので、誰か素敵なアドバイスください待ってますよろしく。



こんな感想を書いている「同類」のかたが:

そういや、妄想・想像など脳内トリップは昔からだなぁ。発想がオカシイとか言われたことも多々あったし悩んだこともあったー。

なるほど。そういうことなら私にも確かに。(べつに悩まなかったけど。いや....、こどものころは「ちょっと」は悩んだかな。やっぱり。)
ていうか私の場合は「あたまがオカシイ」だから。ちょっと違うか。いや、「ちょっと」じゃないか。
ていうか いまでもたまに言われてますが?



【追記】20040809 14:04
しょこらしょさん曰く:http://d.hatena.ne.jp/chocolat_chaud/20040809#p2

私だけについては、根本的に頭が悪いってことだけ付け加えてくれれば、説明されちゃってるよ。

「タイプ別性格診断」さんの「INTP型」について曰く:

そうした風変わりな面も男性ならば頭が良すぎるせいだと見られるが、女性だと「鈍感」とか、ときには「頭が鈍い」というレッテルを貼られてしまう。

「頭が悪い」のと「鈍いと見られる」は違うような。──と気休め*1を書いてみるテスト。


えーと。
「頭がわるい」という自覚がある場合の対処策としては、「頭のよい友人を大切にする」というのがあるかと思います。(私はそれが最善だと思ってるのでそうしてますが。)

多少の謙虚さがあれば難しいことでも無し。というか問題は、頭のわるいひとに頭のよいひとの頭のよさ(=どうよいのか)がわかるのか、というところにもある気はしますがそれは言わぬが花。「どう」がわからなくても「よい」ことだけはわかったりしますから大丈夫(ということにしておいて....)。
なお「謙虚さ」は、「自分の頭の悪さとどうつきあうか」という課題にとってはもっとも重要な「ファクター」かと私念いたしますw。「頭がわるく」て生じる問題の半分は、自尊心とのかかわりで生じるようにも思われますし。

どっちみち

  • 頭がよければ解決してしまう問題もあるが、それだけじゃなんともならん問題だってすごくたくさんある。
    • がんばって「頭をよく」しようと(という方向で)努力してみても、できることはたかがしれている。というだけでなく、「努力と改善」によって「解決」されることもたかがしれている。
  • 「頭がいい」人は世の中にたくさんいる。そして上にはまたさらに上がいる。

ということはあり。
なので、「【この私】の頭がよい人生」と「自分よりも かしこい友人がたくさんいる【この私】の人生」とを比べると、後者のほうがなんとなく幸せな気がします。というか、そういう気がするのは私が「E(外向)型」だからでしょうかw。
まぁでも。どっちみち、「頭のよい人」だって、「わるい人」の強力がないと──多くの局面において──なんともならんのですから。「協力と友好」を必要としているのは「わるい側」ばかりではないのです。はい。


人の頭で考える*2。これ最強。


ちなみに、「頭のわるい友人」は別の意味で大切にしております。人生には笑いもまた常に必要ですから...。


【追記】20040809 15:42
ヒットするのが難しいネタだと思いつつ書きはしましたが見事に外れました。

仮に私が他の誰より馬鹿だったとして、それでもどうしてこの私が抱えた問題を他の人に解くことができるでしょうか。仮に私が誰よりも賢かったとして、どうして私が他の人が抱えた疑問に完璧に答える事ができるのでしょうか。馬鹿でも利口でも、自分で抱えた問題は自分で考えるしかない、としか考えようがないのです。
[‥]
だから酒井さんの『「頭がわるく」て生じる問題の半分は、自尊心とのかかわりで生じる』も、私の書いた意味の「頭が悪い」とはあまり関係ないです。

これはこれで ご説ごもっともです。 書いてみると(そして応答をいただけると)「はずれ」たのがわかるので、それもまたよし。という方向で。
ところで。
「よい/わるい」は比較に使う言葉ですが、「他のひと」と比べない場合、何と何を比較することになるのかというと──:

だから「私だけについては、根本的に頭が悪い」と私が書いた意味は、誰かと比べてではなく、自分で自分に不自由を感じるという意味でした。

この場合、<課題設定>と<遂行performance[=やってみた結果]>とを比較して生じる判断、ということなんですかね。

たとえば・その場合なら、<課題設定>の際に何が効いているかについて省察してみるのは楽しそうな気がします。 いや、べつに「ケア」したい(/してる)わけじゃないんです──ネタに反応してるわけなんです──けどもーw。
あるいは‥‥?

私はといえば、昔から周りの人の頭の良さ(悪さ)と私の頭の良さ(悪さ)を比べる方法が全く分かりません。嫌というほど他人と比べられてきましたが、「比べて」上だと評価された時も下だと評価された時も、同じように分からないのです。そんなことは、無意味なのではないかとすら思えます。

ここ面白かったです。
他人の頭のよさに感嘆(して愛でたり)することがしばしばある私は、それが「無意味」じゃない、と思ってるんだなぁ。と、自己認識。



【追記】20040809 17:15
しょこらさん曰く:

何が不明かというと、「他人の頭の良さに感嘆(して愛でたり)すること」と「他人と自分を比較すること」が直結しているからです。これに従えば、「他人と自分を頭の良し悪しにおいて比較する」事が「分からない」chocolat_chaudは、「他人の頭の良さに感嘆(して愛でたり)」しないことになります。これはchocolat_chaudの言葉の独我論的解釈です。(酒井さんがそうなさったという意味ではありません。)
でも実際にはそんなことはない。感嘆しっぱなしです。だから、「他人の頭の良さに感嘆(して愛でる)」と「他人と自分を比較する」という事の間には、少なくとも段階を踏まないといけない溝があると思うのです。http://d.hatena.ne.jp/chocolat_chaud/20040809#p5

なるほど。
省察してみるに、確かに、「他人に感嘆」しているときには、必ずしも自分と他人の「能力」を「直接に」比べているわけじゃない、かもしれないですねぇ。‥‥という気がだんだんしてきました。

比べているときもあるかもしれないけれど。
「頭がいい」にはいろんな「文法」があるんですねー。


【追記】20040809 14:56
「ISTP型」な なんばさんですが。http://d.hatena.ne.jp/rna/20040808#p2

元来ひっこみ思案な性格からすれば行動的で自発的な役回りになってしまう。

というところを読んで笑ってしまった私ですが、ここは「笑うところ」という認識でよろしかったでしょうか。

*1:「気休め」ていうな。

*2:© ショーペンハウアー