『心脳問題』談義

ASIN:4255002770。応答リンク。



しょこらしょさん 曰く:

単なる確認だけれど、私はid:chocolat_chaud:20040727でも書いた通り、今問題になっているような方向性(研究方法)のどちらかが完全に正しくどちらかが完全に間違っているという議論の仕方はそもそもおかしいと思う。

私も。「単なる確認」のためにひとこと。
「どちらかが完全に正しくどちらかが完全に間違っている」という議論の仕方を私は(そして著者お二人も)していません。

なので「主張」そのものには賛同いたします。が。
そうであるがゆえにまたしかし、「どちらかが完全に正しくどちらかが完全に間違っている」という議論の仕方をしている、と、ここでみなされているのは「誰」なのだろう?[=なぜそのようなことを「確認」する必要があるのだろう?]、とも思った次第ではありますが。(もちろん誰が何を「確認」したっていいのですけれど。)

つづけて しょこらしょさん の曰く:

よって、現代思想の外側から、その仕事の意義や意味を全く否定するような批判の仕方は如何なものであろうかと感じざるを得ない。

こちらは、「現代思想」と呼ばれるものの外延がよくわからないので、応答の難しいところではありますが。
『心脳問題』に対する私のコメントは、この著作に即したものなのであって、この著作が「参照」しているものに即したものにはなっていません
したがって、仮に「この著作が「参照」しているもの」の中に、しょこらしょさんの謂う「現代思想」(なるもの)が含まれていても(いなくても)、とりあえず私のコメントについてだけ謂うならば、そもそもそれは現代思想の外側から、その仕事の意義や意味を全く否定するような批判」であるような資格を欠いている、とは言えるでしょう。

つまり、私は現代思想(なるもの)の「仕事の意義や意味」について、そもそも言及していないのでした。
その「していない」という不在が、「外側から」の「その仕事の意義や意味を全く否定するような批判」に見えるという可能性を想像してみることはできますが、しかしその場合、問題は、そのように「見えて」しまう側に帰属されるべきものかと思います。(私の与り知らぬところ。)


しょこらしょさん 続けて曰く:

優れた批判とは、相手よりもいっそうその相手の考えた問題を深く考えて推し進めた思考であることだろう。(私は、ただのミーハー女子大生だし難しいことは分からないけどね。)

そうなったらすばらしいですが。それはつねにそうなのですが。
私のコメントに関してだけいえば──それがそのようになっていないのは──、単に「優れていることは難しい」というだけのことかな、とは思います。(私も仕事の片手間に目に触れた書物を読みかじるだけのリーマンだし難しいことは分からないですけども。)