フーコー『知の考古学』 をものすごい(ゆっくりとした)勢いで再読するスレ。
まぁこんなこと[→]になっておるわけですな。
と。
で、「エノンセ が エノンセ であるのは、それがディスクール の要素であることによってのみ」である、と。
簡単です。
お? どこかで似た図を書いたことがあるYO!?
これだっ・∀・)q
ま、同時代を生きた著述家が似たようなこと書いた(考えた)ってのは、それ自体としては面白くも何ともない話ですが。
しかしこれが、次のことを示唆すると考えられるなら、多少おもしろさも出てこようというもの。つまり、『考古学』におけるフーコーの課題は、
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- ──特殊システム論的なジャーゴンを用れば──「システム・リファレンス」をどのように示すのか、という
あるいは
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- ──EMなジャーゴンを用れば──記述対象・記述領域の「リフレクシヴィティ」をどのようにとりだすか、という
つまりは、sociological description に関わる問いとして、翻訳しうるものだ、と。 ‥‥そう考えてよいことを示唆するのだとしたら。