涜書:フーコー『知の考古学』

俺がフーコーをすごい勢いで再読するスレ

第II章再訪。カタログ作成中.......。
『考古学』前半戦のもっとも重要な箇所(だと私に思われるところ)



で?

  • 次の場合いつでも、我々は、...、「我々は〈言説のフォーメション〉を扱っている」と言うことにしよう。
    • 1)いくつかの言表の間に、こうした分布の体系が記述されうる場合。
    • 2)[1] 諸々の対象、[2] 言表の類型、[3] 概念、[4] 主題の選択、などの間に、ひとつの規則性(‥)が明確化されうる場合。
  • we will say, ..., that we are dealing with a discursive formation:
    • whenever one can describe, between a number of statements, such a system of dispersion
    • whenever, between [1]objects, [2]types of statement, [3]concepts, or [4]thematic choices, one can define a regularity (...)
  • この配分の[四つの]諸要素(‥)が従属する諸条件を、〈フォーメーションの規則〉と呼ぼう。
  • The condition to which the elements of this division (...) are subjected we shall call the rules of formation.



それで結局。

  • 【Q1】言説の component (element) は、言表なのか、それとも「四要素」なのか?

言いかえると、

  • 【Q2】「言表の規則性」を記述することと、「四要素の分布」を記述する事は、〈おなじこと〉 なのか?

あるいは、

  • 【Q3】「言表が言説を編成する」と謂われるときと、「四要素が言説を編成する」と謂われるときの、語「編成formation」は、おなじ資格をもつ-おなじ意味の言葉なのか?

再度換言すると、

  • 【Q4】「或る言表が或る言説に帰属すること」を示す「規則性」という言葉と、4要素と言説の関係について語られる「規則性」という言葉は、おなじ資格をもつ-おなじ意味の言葉なのか?



「言表」と「言説編成の要素」は、しばしば無造作に、互換的に使われているようにみえるんだけど、これらが同じ資格をもっている、などとはおよそ考えがたいわけですが。 ──このへんどうなのよ?>誰へとも無く

ここをどう考えるかによって、『考古学』プロジェクトをどんなもんだと考えるのか、解釈がまるっきり変わってくるとおもうわけだが。──しかし......、フーコー先生の術語使用の無頓着さ・いい加減さは、一種ウルトラな凄さがあるねぇ。これと比べたら、ルーマンの悪癖などかわいいもんだ。
ま、「理論家」じゃーないってことですな。いいけど。(でも読むのしんどい....)