帰宅車中にて。社会学研究互助会で(ちょっと)紹介されていたので読んでみたわけです。
言説分析方面からの会話分析に向けての批判にどう答えることができるのか、について。
「シェグロフの方針」およびその含意についてのレジュメ、それに対する複数の批判[Wetherell〜Billig]、さらにそれに対する反論*1が──この方面に明るくない私にも理解できるくらいにわかりやすく──簡潔にまとめられていて、たいへん勉強になりました。
「これじゃ相手(=言説さん)はまだ納得しねぇだろなぁ。」と思うし、いくつか──会話分析についての議論に関する──疑問点もありますが、それはそれとして、基本的にはこういう方向で詰めて行けばいいのかなぁ、というヒントをいただいた気がします。
言説さんにある程度分かっていただくとこまで詰めないとなぜまずいのか、と言うと、やはり、それじゃ喧嘩に終わるだけだからw。‥‥というよりも──「どっちがイケてるのか」ということはもちろん大事なことなのだが、しかし──、喧嘩することよりも(あるいはそれと並んで)重大な問題があるから。つまり──
- こんなところで喧嘩してる場合じゃねぇのに言説さんの「敵」は──会話さんじゃなくて──もっとほかにいくらでもいるのに
- そもそも喧嘩をしなくていいところで喧嘩をしていることで
- (どこで協力できるのかがわからなくなるだけでなく、)どこで打って出るべきかもわからなくなる
こういう──仮想敵=藁の犬をでっち上げて攻撃する──ことが放置されているのは、やはり、問題が詰めて考えられていないからのような気がするわけだが....。どうなのか。
いや、これじゃなにゆってっかわかんねぇよなw。‥‥はい出直します。いったん互助会MLにポストして、「なんか」いえたらこっちにもエントリする‥‥かも。しないかも。
とおもって書きかけたんだけど眠いのでまたにするわけです。
関西学院大は紀要を公開しててたいへん偉い。が、なんで選択&コピーできないのよ。こんなつまらんプロテクトかけんでも...。
【追加情報】20041208 00:47
互助会情報によると、この↑論文に興味をもったひとは、これも↓読むといいらしいです:
*1:当然この部分が論文のコア。