涜書:ローティ『哲学と自然の鏡』05

昼食。第5章。



本日のご金言2:

[‥]近代哲学[ここでは特にイギリス経験論]を理解するには クワインが望んでいた以上に、徹底的に伝統と手を切る必要がある[‥]。 クワインの「認識論を捨てるな、それを心理学たらしめよ」という穏当な方針は、われわれの目的がひとたびドグマを排除された経験主義には何が残されうるのかを示すところにあるならば、全く妥当なものである。 しかし、心おどるからでもなければ、道徳上の責務からでもないのに、経験主義者たることに価値があると誰もが考えたのはなぜなのか ──これを知るのがわれわれの目的であるならば、クワインが主題的に扱った問題からすべて手を引き、彼が巧妙にも無視しえた問題を立てる必要がある。[‥] 彼が描いているような心理学上の発見は、どれも科学の基礎付けや科学と証拠の関係には全く無縁であることを私は示したいのである。[p.252-3]

うっきゃー。ローティ先生かっこいーっ\( ^▽^)/♪