納涼泰斗祭り

ったく。
こういうのはダメ(=無駄に構築的)なのの典型例です。みなさん気をつけましょう。

211 :名無しさん@社会人:2005/08/08(月) 03:42:21
客観的実在に関する議論がスレ違うのは、次のようなことが原因であると思う。つまりは、「客観的」という言葉の多義性である。 [‥]
ルーマンが意識から独立した実在の存在を認めている以上、彼を実在論者として認めることに何の問題もないと思う。(もちろん、その実在が反映したものが認識だと言っているわけではなく、認識は意識が構成したものとする→ラディカル構成主義。) [‥]
従来の実在論は反映論(模写説)であったが、ルーマンの場合は実在論でありながら構成主義を採用しているところに独自性がある。

212 :名無しさん@社会人:2005/08/08(月) 04:17:04
要するに、
 「意識から独立した実在は存在するが、人間の観察によってはアクセスできないよ」
というのがルーマンの主張。
さらに言えば、認識者は意識から独立した実在にはアクセスできないがゆえに、認識によって構成されたものがむしろ主要な実在として現れてくるということ。
つまり、ルーマンの言う実在には、二つのレヴェルがある。

  1. 人間の観察によってアクセスできない、意識から独立した実在(存在するが到達不能の実在=現象学的意味のHorizont)
  2. 人間の観察によって構成された、意識における実在(観察にとっては、こちらが主要な実在となる)

ルーマンが実在(Realitaet)を否定していると主張する香具師は正真正銘の馬鹿。

そもそも、「彼を実在論者として認めること」に何の意義があると思ってんだ君(たち)はw。