タレコミ感謝。本日はピエール・ブルデュー先生。
- エスノメソドロジーは、彼らの対象である「社会的現実の構成原理」の基盤を問わない
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ピエール・ブルデュー(三浦信孝訳)2001「国家精神の担い手たち」『環』5:98-117 isbn:4894342308
実際、差異化と分化が進んだ社会では、国家が一定の領土的管轄内で普遍的にノモス[‥]を押しつけ、共通の見方(ヴィジョン)と分け方(ディヴィジョン)の原理を、同一ないし近似した認識と評価の構造を、教え込むことができる。それゆえ、国家こそ「論理的順応主義」と「道徳的順応主義」(いずれもデュルケームの表現)の基礎になる。世界の意味に関する前反省的で直接的な黙契の基礎には国家があり、その前反省的な黙契が「共通の意味世界」としての世界経験の原理になるのである。(「共通の意味世界」としての世界経験を明るみに出した現象学も、日常世界の記述を目標とした〔ガーフィンケルらの〕エスノメソドロジーも、それを基礎づけ明らかにする手段をもっていない。彼らは自分が解明に努める社会的現実の構成原理が社会的にいかに構成されたかという問いを提起しておらず、社会的行為体が社会秩序に適用する構成原理の構成に国家がいかなる貢献を果たしたかについて問うていないからである。)[p.111]
ブルデュー先生お得意の「いつものアレ」でございます。
「その背後には何があるのか*」 という社会学者の習慣的・慣習行動的pratique-問題提示。
* 先生曰く「国家だ」と。
それでその背後には何がありますか。
これがいわゆる──社会学を学ぶと手に入ってしまうらしい──見えないものを見る力isbn:4842910879ございましょうか。
というか お前らはエスパーですか?