『公式組織isbn:4787792016』続き。と、「ルーティン礼賛」の最終節(9節「派生問題とその補償」)。
『公式組織』の構成[p.22-24]。
- 第1部: 準拠問題を特定する。
- 第2部: 準拠問題に即した機能分析をおこなう。
- 第3〜4部: 派生問題を扱う。
第一部は基礎である。
- まず、[‥](第1章)
- 次に、[‥]、公式化された社会システムと原初的な社会システムとを区別する構造的特徴の核心をなす、公式化についての概念が展開される。すなわち、一定の行動期待の承認を成員であるための条件とすることがこれである(第2章)。[‥]
- しかし、これはシステムの中で実際に経験される機能的に意味のあるすべての行動期待を含みこんでいるわけではない。公式組織のすべての派生的問題が出てくるもとになるこの乖離を説明することで、第一部を終える(第3章)。
第一部の基礎概念をもとに、第二部では機能分析が開始される。
- 行動期待の一般化(第4章)
- 続く二つの章は、公式化がシステムに対してはたす内的機能を問題にする[→統合]。すなわち、
- 一般化された期待構造の構成(第5章)
- 分化可能な期待構造の構成(第6章)
これによって同時に、システムの境界が定義される。- それ以後の章は、この境界設定によって生じる、システムと他のシステムとの関係を扱う[→適応]。[‥]
- システムと成員との関係は、動機づけという観点で(第7章)
- システムと非成員との関係は、システムの外部に対する自己呈示という観点で(第8章)説明される。
- それに対して、両者の関係は、影響力についての理論で示される(第9章)。
- 第二部は、内的適応の柔軟性の条件を研究すること(第10章)で終わる。
ここでは、「構造原理」から「境界」が導かれているよ。
- Niklas Luhmann, "Lob der Routine," Verwaltungsarchiv 55 (1964), S.1-33 → isbn:353111073X
ホープ訳(ちょっと改):
[82] ルーティンの派生問題は、ルーティンが[或る特定の]システムに拘束されているがゆえに発生する。ルーティンプログラムを合理的に設計する際に、それが果たす機能の宛先として考えられているのはただ一つのシステム、つまり組織化された行政である。[‥] 以下では、ルーティンが
- その処理対象との間に引き起こす摩擦 [→[83]-[91] 〜「クライアント」との関係→クライアントと組織それぞれにおける「自己呈示」(Goffman)の問題]
- 行為者との間に引き起こす摩擦 [→[92]-[96] 〜「組織成員」との関係]
について順番に論じ、それぞれの対処法としてどんな可能性があるかを確認する。
『公式組織』では、「クライアント」との関係は8章で、「組織成員」との関係は7章で論じられている。
‥‥かと思ったが、あまり重なる論点は無いな。
ただし、7章の(二)では、「条件プログラム[p.136]」の名で、権威とルーティンが論じられているよ[p.133-]。
なんと。こんな過激な啖呵も....:
古典的な組織論にあっては、権威概念は命令というコミュニケーション形式ならびにヒエラルヒー的な上下秩序の観念ときっても切れない関係にあった。[‥]したがって、古典的な組織論は権威やその委譲という概念の使用を組織の垂直軸に制限せざるをえなかったのである。アメリカでは、組織の「生産ライン」の本来的仕事を遂行するヒエラルキー構造 と 専門的立場から助言を与える部門であるスタッフとの間の関係や、公式化することもとらえることもできないが、しかし、なお厳然として存在しているスタッフの権威についてきわめて不毛な議論がなされてきたが、それはながい間、権威についての伝統的な理解にとらわれていたためである。[p.135]
注17。「条件プログラム」は、ゲーレンの謂う「指導の交代」とパラレルである、と。
注18。権威と貨幣の類似性(一般化=indifference)については25章で再び論じる、と。
google:"行政裁判権" てなに?
わかつーた。