理論とか一般理論とかって、なに?

  • Funktionen und Folgen formaler Organisation, 1964

公式組織の機能とその派生的問題 上巻

公式組織の機能とその派生的問題 上巻

序文。

根拠を示すことができて、誰にでも納得のいくような[機能的]等価項目を発見するためには、準拠問題を十分に抽象化し、明瞭に規定する必要がある。実際の行為を具体的に記述するという仕事を完成させていくには、社会的行為システムに関する高度に抽象的な理論のたすけを借りなければならず、そのためには長い回り道をたどらざるをえない。[p.21]

  • 課題: 実際の行為を具体的に記述すること。
  • 「システム論」の役割: 課題を助けること。
  • 「機能的方法」の役割: ?(比較のための抽象的な出発点を与えること)

 現代の組織にあっては、その合理的構造でさえすでに込み入った形態をとっている。[ましてや、本書は「合理的構造」のみに照準したのでは「組織研究」として不十分だ、と主張しているわけであり、本書が照準しているところの、その、] 組織の実際の行動秩序となれば なおいっそうのこと複雑さが増してくる。このことからも、抽象的な出発点の必要性は明らかである。われわれが関心をよせ、取り組む対象が、

  • 熟練した官僚の言い逃れ
  • 同僚間の友情
  • 失敗や異議の申し立てに対処するさいの 非難を受けずにすむやりかた
  • 管理技術や責任分担の問題
  • 認められる[=許容されうる]敵意の表しかた
  • 口にすることのできる決定前提と口にできない決定前提との違い

などなどといった、複雑な事柄である以上、これらのことを記述し、それを若干の明白な原因に還元するだけでは、ほとんど何の役にもたたないだろう。というのも、2、3の原因を見つけ出したとしても、われわれは、相互に作用を及ぼしあっている複雑な諸条件の中ですぐに迷子になり、木を見て森を見ないという結果に終わってしまうだろうからである。[p.21]

  1. 「個別の具体的な現象の記述」を、「そのつど発見できる明白な原因」に還元するやりかたでやっても仕方がない。
  2. そうではなく、それら個別の記述は、一貫した見通しもって行わなければならない。
  3. 見通しを与えるためには、抽象的な出発点が必要だ。
  4. その出発点を与えるのが 機能分析である。

といっているように聞こえる。
で、これ↓がその主張の適切な敷衍になっているかどうか。それが問題であるが──

組織内でなされる実際の行動の多くは、前もって別なところで下された決定の不備だとか構造的な選択の結果として生ずる派生的な問題とかにかかわるものである。そのさい、そういった決定や構造的選択は、所与として前提されるだけであり、それらが改めて考慮されることはない。また考慮されることがあったとしても、非常に多くのことがらがそれらに依存しているために、そういった決定や選択を検討すべき課題として疑問に付すことは、実際にはできなくなってしまっているのである。人はつねにあらかじめ構造化された諸関係のなかで生活している。
 それゆえ、われわれは、公式組織という社会システムについての一般理論をまず取り上げなければならない。[p.21-22]

なぜ。
「それゆえ」で結ばれた 前と後ろの文章が飛躍なく つながっているようには、私には読めないよ。

  • 1と2はごもっともな主張だろう。しかし、そこから必然的に主張3を導くことはできないように思われる。
  • ところで、3はおそらく、ルーマンの研究者生涯にわたってずっと変わらなかった前提的主張=偏見である。
  • だからここから「ルーマンが問わなかったこと」もわかる。つまりルーマンは、「記述に見通しを与えるには、事柄を抽象するという回り道をとるしか やりようが無いのか?」という問いを、おそらく問うたことがなかったのだろう。


「一般理論」という語の用例:

それ[第3部と第4部]は、一般理論の完全なる展開ではない。つまり、すべての組織現象の体系的な記述を目指したものでもない。

これまた「一般理論の展開」=>「首尾一貫した見通し-のもとでの-個別の組織現象の記述」とでも翻訳できそうに思われる文章。