宴の支度/涜書:『ルーマンの社会理論』『社会の法』『論争』

いろいろ確認。

ルーマンの社会理論

ルーマンの社会理論

社会の法〈1〉 (叢書・ウニベルシタス)

社会の法〈1〉 (叢書・ウニベルシタス)

もう提出しちゃったのにまだこんなことをしていて(ry)....

『論争』(訳414)

「反省」は、「中期」に入ってから急に話題にされるようになったわけじゃないよ。

だから、「ルーマンの変貌」は、トッシキの謂うような仕方で生じたわけじゃないよ。

 討論は大勢の参加者たちの存在を必要とし、その参加者たちが相互のコミュニケーションのなかで共通したそのときどきの主題に関わる、従ってそれに注意を集中するということを、私たちは仮定する20。[討論の場合は]参加者たちの目標は、真理や意見についての合意を形成することでなくてはならない。間歇的な会合は、中断後その継続を保証するために、ひとたびシステム同一性が十分に規定されるや、可能となる21

20 Erving Goffman, Encounters: Two Studies in the Sociology of Interaction, Indianapolis 1961. ゴフマンはそのようなシステムを〈焦点をもった出会い〉と呼んでいる。逆の例はたとえば次のようなものであろう。電車に乗り合わせている者たち、大パーティの参加者、そして列をつくって待っている者たち。彼らはたしかに互いに気づきあってはいるが、しかし一つの共通した主題にかかわり合っているのではない。逆に当然のことながら主題の集中を持続しながら、しかし同時的な出席の条件を廃止しているシステムもまた存在する。たとえば、組織がそれである。
21 中断の必要性は、抽象化とシステム規定へのごく基本的な強制を形成するように思う。場所、時間、そして参加者だけでなく、引き続いての会合の意味をも、なんらかの方法で確定しなければならない。出席者たちは少なくとも自分たちは再びやってくることを約束しなければならない等々。パーソンズ潜在的パターン維持という問題公式で表現しようと努め、討議に対してもまたハバーマスの意味で成り立つ、この問題の解決がどのようにしてシステム理論的諸仮定による以外に説明され得るのか、私にはわからない。

ここに登場する「同一性」は──「基底的的な統一性」ではなくて──「反省的な同一性」だよ。
注の21に書いてあることは、『社会的システムたち』の(S.617-618→831頁)と同じことだよ。ほら:

反省Reflexion……は、全ての社会システムにある一般的な特性ではなく、特定の前提の下でのみ可能になる特別な営みである。何より、相互行為システムは通常、その統一性への反省[=反省的同一性]なしにやっている。

相互行為システムが反省へもたらされるのは特に二つの理由からである。すなわち、(1)(略)、そして (2)相互行為システムがその場にいる人々の接触を中断させて再び結集するようにする──したがって、その同一性を潜在的に維持しなければならない──場合、である。

つまり反省によってのみ処理できる特別な事態が存在する。そうでない場合は、共在という構造原理でその直接的な方向づけには十分である。

潜在的パターン維持」(!)って言葉も出てきてるしさ。

Erving Goffman

Erving Goffman

出会い―相互行為の社会学 (ゴッフマンの社会学 2)

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Soziale Systeme: Grundriss einer allgemeinen Theorie

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社会システム理論〈下〉

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