夜食。しかたないので再読。
□こういう「言い換え」ひとつで(へたすると)あとの話がすっかりわからなくなる件。
合理主義は、実在を表示するのが真理の役割であるのを認める。プラズマティズムは、
- 実在が不変ではなく、 [非固定性]
- またすべての人にとって同一でもない [非パーソナル性]
ことを明らかにしようと努める。ここから真理が実在の模写ではありえないという結論が出てくる。しかしなにゆえ模写が原型と同様に進展してはいけないのだろうか。その点を確定するためには、思考は単位普遍的な実在のみならず、いかなる類の実在の模写でもありえないこと、別な言葉でいえば実在と思考のあいだには、ある本質的異質性が存するということの論証は、プラグマティストたちによってかつてなされたことがなかった。 [p.61-62]
「実在と思考の本質的異質性」とか無駄に抽象化するな、と。
□
大事なことは、世界が無限数の部分からできあがっているか、それとも有限数の部分からかを知ることであって、…… [p.67-68]
先生、ちっとも大事におもえまえせん...
■第8講 編者注記
ジェームズによると、概念とは一般的観念にほかならない。これは異論をはさみうる公準である。なぜならばすべての一般観念が概念であるとしても、だからといって必ずしも概念のすべてが一般観念だということに
ほかならないからである。[p.101]『原初形態』p.22-, p.617-
■講義の要約(第15講義)
- 真理はなんらかの道徳的義務と結ばれている。
- 真理は事実の強制的な力と結ばれている。
- プラグマティズムはそのどちらも説明できない。以上。
■17講からようやくデュルケム節
- 実在を創造するものは思考である。そして、
- 集合表象の顕著な役割は、このより優れた実在(=社会そのもの)を「作る」ことにある。
- これは真理の、おそらくはおもいがけない役割である
が、それは真理が[プラグマティストが述べるように]実践的序列の事柄を指図するためにのみ作られている、というわけではないことを示している。[p.184]
■第19講
[コントによれば(?)] (略) さらに歴史の助けを借りてここに他のあらゆる科学以上に重要な役割を演ずるように招かれている一科学がある。それが社会学である。 [p.183]
こりゃたいへんだ。