だけでなく読んでしまった(泣
夕食。
- 作者: リチャードハロウズ,Richard Hallows,寺西のぶ子
- 出版社/メーカー: カナリア書房
- 発売日: 2007/05
- メディア: 単行本
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積んであったこれもうっかり読んでしまった。時間の浪費であった。
再帰的近代社会―リフレクシィブに変化するアイデンティティや感性、市場と公共性
- 作者: 中西眞知子
- 出版社/メーカー: ナカニシヤ出版
- 発売日: 2007/04
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さらにここで、ルーマン(1990 [ ISBN:0231063687 ] = 1996 [ ISBN:4772004203 ] :94-102)の自己言及性と比較することで、ギデンズの提唱する再帰性の性格を際立たせてみよう。ルーマンは、現代の「主体」にふさわしい継承者を「自己言及システム」の研究によって開始しようとする。それは「オートポイエーシス的」とも呼ばれ、人間学的概念に回帰する道を閉ざしてしまう閉鎖的なものである。客我(me)から区別された主我(I)や、社会的アイデンティティから区別されたパーソナルアイデンティティは存在しない。ルーマンはこれをパラダイム革命とも表現する。現在の人間的状況にとって感情的に妥当かどうかについては疑問としながらも、自己言及性を極限まで追求することで、分解した自己を再統合する試みは無益となり、主体的なものを失うまでに至る。
内へ向かうことで、自己という主体を失うまでに至るルーマンの自己言及性と比較すると、ギデンズの主張する自己再帰性は、自己も外のものを反映した循環において成立させるものであり、外部と再帰的循環において創造され維持されるもので、いつも更新されていく途上にある。ルーマンの自己言及性の徹底した追及に比べて、ギデンズの再帰性概念の追及は、近代において見境なく再帰性が働いたとして、人間的、主体的なかかわりへの期待感は失われていない。その点では、循環の意味するものへの追及がルーマンほど徹底していない。が、これは、彼が人間の働きかけにおける主体性、批判精神への希望を捨てきれないことの現われともいうことができよう。ギデンズは、閉じた自己言及性を目指すのではなく、社会の再帰的な解釈と社会への再帰的な働きかけが両方向から循環している中で、楽観的で開放的ともいえる「再帰的な解釈と働きかけとしての社会科学」を提唱しているといっていいであろう。[p.8]
な ん だ こ れ は。
正しいとか間違っているとかいう以前に、そもそもなにを言っているのかさっぱりわからない。
ずっとこんな感じで本が終わってしまう。
社会理論恐るべし。
「博士論文書くのに「理論編」が体裁上どうしても必要だった」と理解すればよろしいか?
社会学理論が「失敗することによってすなわち社会に関する普遍的な言説として流通・浸透し損なうことを通して、自分自身に抵抗しつつ自己を貫徹する」(馬場 2001:32)ものであるならば、再帰性概念を掲げて、そういった批判され、否定される場に身を置くことこそ、ふさわしいのではあるまいかと思っている。[p.177]
おいおい...。