涜書:ヘンリッヒ『ヘーゲル哲学のコンテクスト』

ひさびさに。ぱらぱらと。

  • ディーター・ヘンリッヒ『ヘーゲル哲学のコンテクスト』
    中埜 肇 監訳/笹澤 豊 他訳、晢書房/理想社、ISBN:?、1987/11


ひさしぶりに「こちら」方面を訪れると文体にあてられて頭がクラクラする。それでもヘンリッヒの文章は まだ読みやすい部類に入るとは思うのだが。
キモである4章(『論理学』論)は ちょっとだけ真面目に。

第4章 ヘーゲルの反省論理

  • 一 論理学の主題と方法
    • 1 ヘーゲル体系の基礎命題
      • a 実体は主体である
      • b 主体は実体である
    • 2 論理学の方法と自己叙述
  • 二 反省の論理に関する論証分析的な注解
    • 1 本質概念への迂路
      • a 存在の次に来るものとしての本質
      • b 本質的なもの
      • c “仮象”という逆説的な思想
    • 2 仮象と本質の同一化
      • a 本質への意味のずれ
      • b 本質における仮象の規定性
      • c 否定論の中間考察
    • 3 措定と前提
      • a 措定としての反省
      • b 前提としての反省
      • c 反省の二重化
    • 4 外的で規定的な反省
      • a 他者としての反省そのもの
      • b 外的なものとしての反省
      • c 規定されたものとしての反省
    • 5 結論
  • 三 論理学の方法と構成
  • ヘーゲルはネタを記述にもたらすのに必死で、自らの「方法」を言葉にすることには ほとんどコストをかけなかったんだよね。
  • なのに/だから、後世の人々は、ヘーゲルが けっこうテキトーに語った「俺様の方法」についてのヨタをもとにしてヘーゲルについて云々してしまうので、たいへんワヤなことになっているよ。
  • ところで、その点についていうと、ヘーゲルの諸著作の中でも ちょっと例外的な場所がある。それは、『論理学』の中で、ヘーゲル自身の方法にとって も 重要な──「反省」とか「否定(性)」とかいった──諸概念を、『論理学』の対象として──つまり議論のネタとして──扱った所だ。
  • そこでは、「ヘーゲルにとっても方法であったもの」についてヘーゲル自身が語っているわけなので、そこを詳細に検討するのが吉。
  • さて、(以下略)

・・・というようなお話(大意)です。

こうした「対象と方法の交錯」には、いろんなところ(含む社会学)で出会うわけなので、難しいけどなかなか面白い議論なのです。


ところで「否定の形式」──これはルーマンもどっかで参照してたような気がするけど──の邦訳が いまだにないのは残念ですなぁ。

  • Dieter Henrich, Formen der Negation in Hegels Logik, Hegel Jahrbuch 1974. 245-256