ひさびさに。ぱらぱらと。
ひさしぶりに「こちら」方面を訪れると文体にあてられて頭がクラクラする。それでもヘンリッヒの文章は まだ読みやすい部類に入るとは思うのだが。
キモである4章(『論理学』論)は ちょっとだけ真面目に。
第4章 ヘーゲルの反省論理
- 3 措定と前提
- a 措定としての反省
- b 前提としての反省
- c 反省の二重化
- 4 外的で規定的な反省
- a 他者としての反省そのもの
- b 外的なものとしての反省
- c 規定されたものとしての反省
- 5 結論
- 三 論理学の方法と構成
- ヘーゲルはネタを記述にもたらすのに必死で、自らの「方法」を言葉にすることには ほとんどコストをかけなかったんだよね。
- なのに/だから、後世の人々は、ヘーゲルが けっこうテキトーに語った「俺様の方法」についてのヨタをもとにしてヘーゲルについて云々してしまうので、たいへんワヤなことになっているよ。
- ところで、その点についていうと、ヘーゲルの諸著作の中でも ちょっと例外的な場所がある。それは、『論理学』の中で、ヘーゲル自身の方法にとって も 重要な──「反省」とか「否定(性)」とかいった──諸概念を、『論理学』の対象として──つまり議論のネタとして──扱った所だ。
- そこでは、「ヘーゲルにとっても方法であったもの」についてヘーゲル自身が語っているわけなので、そこを詳細に検討するのが吉。
- さて、(以下略)
・・・というようなお話(大意)です。
こうした「対象と方法の交錯」には、いろんなところ(含む社会学)で出会うわけなので、難しいけどなかなか面白い議論なのです。
ところで「否定の形式」──これはルーマンもどっかで参照してたような気がするけど──の邦訳が いまだにないのは残念ですなぁ。
- Dieter Henrich, Formen der Negation in Hegels Logik, Hegel Jahrbuch 1974. 245-256