関連本をいくつか。
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- 1 テクストの誕生
- 2 芸術の凋落
- 3 複製技術というパラダイム
- 4 アウラの消える日
- 5 知覚と歴史
- 6 芸術と政治
- 7 映画の知覚
- 8 ミメーシスと遊戯空間
- 9 触覚の人べンヤミン
- ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」(野村 修 訳)
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... リーグルは『ローマ後期の美術工芸』のなかで、ヴィックホフの業績について述べている。彼らは後期ローマ(初期ビザンティン)の美術が、古典古代の様式的基準から見ると高い評価を与えられないとしても、それらは古典古代の美術とは別の類の芸術であることを見出していたのである。
『ウィーン創世記』の手写本のミニアチュールでは、古典古代のように、奥行きのある空間のなかに人物をおくのではなく、ただ人物や必要な小道具だけが物語に沿って連続的に配置されていた。これが古典古代の絵画とまったく別の空間知覚にもとづく芸術であることに彼らは気づいたのである。彼らにその発見が可能であったのは、その時代が古典古代とは別の知覚をもっていることを理解するだけの、美術の歴史の作用因である基礎概念を創出していたからである。(pp. 68-69)
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- まえがき
- プロローグ──巨大な「否」
- 第1章 ベルリンの幼年時代
- 第2章 精神の犯行
- 第3章 言語と神学への沈潜
- 第4章 法、神話、希望
- 第5章 アレゴリーとメランコリー
- 第6章 ベンヤミンの方法
- 第7章 評論家ベンヤミン──ヴァイマールの坩堝のなかで
- 第8章 亡命とパサージュ
- 終わりに
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三島御大のはゲルマニストの面目躍如。
ほとんど毎ページに知らんことが書いてあって勉強になる。
「物の連関(〜場面設定)・実践の脈絡・雰囲気」の構成的な関係を考慮すれば、「アウラ」という──未分化にすぎる──概念は不要なのではないか。 ……というのが暫定的な見通し。
明日もういちどベンヤミン自身の文章にあたりつつ考えてみることにしよう。