〈修養〉の語釈と概念詮索

王成「近代日本における〈修養〉概念の成立」

  • 一 はじめに
  • 二 〈修養〉の起源
    • 1 村上専精の証言
    • 2 近代以前における〈修養〉
    • 3 明治期の辞書で見る〈修養〉
    • 4 翻訳語としての修養
    • 5 キリスト教指導者における修養論
    • 6 修身教育と〈修養〉
  • 三 〈修養〉概念の形成
  • 四 〈修養〉概念の展開
    • 1 〈修養〉の流行
      • (1) 修養団
      • (2) 雑誌『修養』の登場
      • (3) 修養書ブーム
    • 2 加藤咄堂の『修養論」における〈修養〉
    • 3 新渡戸稲造の『修養」における〈修養〉
  • まとめ
  • 唐木順三『現代史の試み』
    修行は仏教語。修養は儒教と武士道。
    • 1970年代の唐木批判:中内敏夫と上野浩通
  • 修養の出現時期:林彰
  • 村上専精(1907, M40)『通俗 修養論』
    「修身、修道、修行、是れ等の用語は、古来巳に応用すと雖も、修養は吾輩の青年時代にありては、未だ聞かざる用語である。然るに近来訳語に之を応用せし結果なるか、或はまた修養の必要を認めし結果なるか。孰れにしても近頃盛んに此の語の流行を見ることになつて来たのは、まつ悦ぶべき現象といはねばなるまい。」
  • 二-5.「キリスト教系統の有識者儒教的な旧道徳と区別するために「修身」に対して〈修養〉を用いた。以下、徳富蘇峰、横井時雄、松村介石、植村正久、内村鑑三の順で見ていきたい。」
    • まとめ p.127 「全般的に見て、明治初期から明治三十二年(一八九九)(松村介石の『修養録』出版の年)まで、〈修養〉は教育や訓練の意味で使われる一方、複合語「おさめ、やしなう」として、「身(行)を修め、心(徳)を養う」という意味で使われていた。「修身」に「徳の涵養」を付加する意味合いが強かった。近代的に精神修養または道徳修養という人生論的なカテゴリーとして最初に使われたのは基督教的な人生論においてであった。それ以後、新しい時代の人生論を展開するために一般に使われるようになったと考えられる。」
  • 三-2「修養の近代性は修身の思想に反発するところから出発して、近代的個人を作り出すために、既成の宗教の教義に拘らず、東西両洋の文化から精神の修錬や人格の向上に役立つ要素を取り入れて、新しい修養論を作り出そうとしたものであった。国家対個人の意識が修養論者の中に見られるはずである。なぜなら、「修身」が学校教育の主要な科目であるのに対して〈修養〉は民衆教化または国民教育を目指すものだった。」