エドワード・ティリヤキアン(1962→1971)『社会学主義と実存主義:個人主義に関する二つの視座』

ティリヤキアンは1929年生まれ。ルーマン(1927)と同世代。ガーフィンケル(1917)の一回り下、サックス(1935)の少し上。
本書刊行時は32歳くらい。

  • 解説論文「現代社会学における「個人と社会」」(田中義久)
  • 訳者あとがき

訳者あとがき

こんなひどい訳者あとがきってある?
p. 347-348

 おそらく、1930年代のアメリカにも、「個人と社会」問題は、すくなくとも人びとの意識の内部に、発酵していたのであろう。わたくしたちは、フォークナーやドス・パソス、あるいはあの「失なわれた世代」一般の文学のなかに、その色濃い投影を見る。それはまた、ヨーロッパにおけるマルローやベルナノスやピランデルロのそれの対応物でもあったろう。けれども、アメリ社会学の「一九三〇年代」は、前述のようにそれをG ・H ・ミードやクーリーの周辺においてとらえるかぎり、なおプラグマティズムの無邪気な健康さのなかに首まで浸っていたのである。その意味では、ティリヤキアンが「個人と社会」の問題の問題性をとらえたこと自体が、アメリ社会学の体質にとって、ひとつの例外的なできごとなのであろう。
 しかし、わたくしが本書の翻訳の意味をみとめるのは、ここまでである。わたくしたちは、日本の社会学的伝統のなかで、清水幾太郎のすぐれた問題提起の書『社会と個人』一九二五年、刀江書院)をもっている。そして、「個人と社会」の問題は、ジンメルベルグソンマンハイムオルテガのそれぞれに個性的な接近の対象となり、いわば二十世紀社会学の原問題のひとつとなっている。そして、このような背景のなかにティリヤキアンの思考をおくとき、その光量の乏しさは否定すべくもないであろう。それは、しかし、あらゆる時代における曙光の宿命でもあろう。しばしば、思想のあとを歴史が追いかけることになるものだからである。ティリヤキアンの本書における役割は、「個人と社会」問題のリアリティを現代アメリ社会学の地平に明示的に定着させること、これに尽きると言ってよい。


しかも〈あらゆる時代における曙光の宿命〉の意味がよくわからないしなぁ。
「このネタは他の国・領域でならいろいろ議論されてきたけどアメリ社会学では この本が ほとんど初めてなので、ショボくても仕方がない」くらいの意味ですかねぇ。