アガンベン『開かれ:人間と動物』

昼食と夕食。

開かれ―人間と動物

開かれ―人間と動物

ハイデガーがネタなので、私にとっては、同じ著者の他の本よりは読みやすかった。というか、著者がストーリーを仕立て上げる際に使っているカラクリが見えやすかった。
このストーリにはいくつか「弱い場所」があって、そこを的確に打てば、この噺は引っくり返せそうな気がする。──と書くと簡単に書けそうだけど、こういうのちゃんと書こうと思うと結局すごく時間がかかるんだよな。


とりあえず、「いえそうなこと」メモ2つ。
その1。<動物/人間>区別について語られていることは──「正しい」とか「間違ってる」とかという以前に──、ありふれた「分類(or 区別)のパラドクス」なのではないかしら。それが「ありふれている」ということによって、この話は相対化できてしまうと思う。

もしも/たとえば、「「人間」というカテゴリーについてこのパラドクスが生じることこそが深刻なのだ」とかと主張する人がいたとしたら、その人は単に「人間は特別だ」という主張をしているだけだし。
その2。この著者は、

  • ハイデガーを参照しながらも、ハイデガーの(現象学的な)分析の側面には ほとんど配慮していないようにみえる。
    • 現象学者ならば──もちろんハイデガーも含めて!──「地平の分析」をするだろうところで、それに 類した 作業をほとんど行っていない。そのかわりに、別の場所・論者から引っ張って来たあれこれでもって、ハイデガーの議論をデコレートしてしまう。
  • 「活動の停止(/再開)」と、(古典的な)社会[心理]学者ならば「一般化」(≒無関連化〜無差別化)と呼ぶであろうものとを、区別していない。


この二つによって。
つまり一方では、「ありふれたパラドクス」を特定の話題に関して・特別のことであるかのように採り上げることで、他方では、分析と区別が必要かつ可能なところで・しかしまさにそれをしないことによって──その代わりにメタファー*に訴えることで──、「ひとつの-ユニークな-ストーリー」が紡ぎ上げられている。‥‥そんなふうに読める本。


もう数回読んでもうちょっと考えたら、なんか書けそうな気がするんだけど。しかし「ここに加えて何を言うべきか」という気もする。

* メタファ-のほかに/-とともに、「否定」および「可能性」という概念が操作的に(というか、無限定的に=未分化な仕方で)使われており、これが「ストーリー」を支えているようにみえる。
まさにこれらの概念(で指示されている現象)こそ、たとえば、現象学者ならば「地平」というトピックのうちで分節化して扱うだろう、と思われるもの。(そして──もしもそうした作業を実際に(誰かがw)おこなえば──「否定」によって指示されているものうちの(少なくとも)いくつかは、「地平」とは関係のないものであることが示されるに違いない。)
この著者のように、雑多なあれこれを一緒くたにして「否定」(あるいは「可能性=潜在性」)という語でもって指示してしまえば、そりゃどんな結論だって導けましょうよ。というものです。


戦略サファリ―戦略マネジメント・ガイドブック (Best solution)

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  • 1 サファリ・ツアーのねらいと構成
  • 2 デザイン・スクール:コンセプト構想プロセスとしての戦略形成
  • 3 プランニング・スクール:形式的策定プロセスとしての戦略形成
  • 4 ポジショニング・スクール:分析プロセスとしての戦略形成
  • 5 アントレプレナー・スクール:ビジョン創造プロセスとしての戦略形成
  • 6 コグニティブ・スクール:認知プロセスとしての戦略形成
  • 7 ラーニング・スクール:創発的学習プロセスとしての戦略形成
  • 8 パワー・スクール:交渉プロセスとしての戦略形成
  • 9 カルチャー・スクール:集合的プロセスとしての戦略形成
  • 10 エンバイロメント・スクール:環境への反応プロセスとしての戦略形成
  • 11 コンフィギュレーション・スクール:変革プロセスとしての戦略形成
  • 12 新たなるパースペクティブ

1章、2章、10章、11章、12章を読了。
頭が悪くなりそうなカタカナばかりの日本語が延々と続いて読むのがつらい。頭が悪くなる。
いやだいやだ。
でも読まねば。


社会のなかの数理 ー行列とベクトル入門ー

社会のなかの数理 ー行列とベクトル入門ー

  • 行列の扱い方
  • 逆行列の求め方
  • 簡単な投入‐産出分析
  • 部族社会の親族構造
  • 集団内の勢力関係をさぐる:優越行列とその応用

まで読む。懐かしく楽しい。

逆行列の計算の仕方とかすっかり忘れてて、練習問題を解いてみたりw。

(証明を省くという意味で)数学的な飛躍が多く、そのかわりに、(代数的・一般的な表記を多用するという意味での)数学的な「省略」はしない・冗長な・ストーリーとしては飛躍の少ない記述になっている。
おそらく著者は数学の苦手な人だったに違いない、と予想。
この先には、こんなトピック↓が待っていて、楽しみ。