芸術週間:ニクラス・ルーマン『社会の芸術』

http://thought.ne.jp/luhmann/baba/preview/kunst.html

社会の芸術 (叢書・ウニベルシタス)

社会の芸術 (叢書・ウニベルシタス)

第7章 自己記述

  • I 自己記述の位置と役割
  • II 自己記述の歴史−−古代からバロックまで
  • III 啓蒙主義と「美学」の登場
  • IV ロマン派のアクチュアリティ
  • V モダンとポストモダン
  • VI 自己記述の到達点
  • VII 統一性の自己記述とその隘路
  • VIII 形式としての芸術

ここでもやはり「自己記述」概念の敷衍が、たとえば『社会の法』よりも丁寧。

こうしたことが起きるのは──ルーマン側の事情ではなくて──法と芸術の違いに由来していると思われる。つまりたんに*、法を論じるより**芸術を論じることのほうがめんどくさいことで、そのせいでルーマンも──本の厚さこそ半分だが──より明確な概念規定を迫られている、というような。
少なくともこの意味で、『社会の芸術』は──『社会の教育システム』と並んで──、『社会の法』や『社会の経済』よりも、ずっと重要な著作になっているといえる。
* というのはいい過ぎ。ルーマンは、たとえば芸術とほかの機能システムにおける、包摂の違い──我々は法や貨幣がなければ生きてはいけないが、音楽がなくとも生きていける──についても述べている。(もっともこれもやはり、芸術を論じることのめんどくささ、の一例ではある。)
** そもそも法は──学的観察者が記述する以前に──それ自身 言葉(のやりとり)でもってつくられているものだし、経済は──学的観察者が記述する以前に──自らを「計量化」している。もちろん芸術の場合にも「作品」「作者」「享受者」「制度」などなどをめぐる言説は豊富に(というか莫大に)存在するが、しかし、それが当の「作品」たちとどのような(構成的な)関係を取り結んでいるのかは、まったくもって自明ではない。(だからこそ──たとえば美学的分析のほかに──社会学的解明を試みてみる価値があるわけだが。)