涜書:ルーマン『社会の社会』

読書会@西荻 http://socinfo.g.hatena.ne.jp/contractio/20060730

Die Gesellschaft der Gesellschaft

Die Gesellschaft der Gesellschaft

第2章「コミュニケーション・メディア」第11節「象徴的に一般化されたコミュニケーション・メディア 3:構造」


■本日参照した出不ろぐ:


「法コードのパラドクス」ネタについてのメモ(追記):

  • 法律家はルールに頼ることができ、それによって二分コード化されたシステムのなかで働いていることを忘れうる。が。
  • コード値の間の差異の統一性という問題が、システムのなかで再浮上してくる。その際、問題は、決定不可能性という形式をまとうこともありうる。[isbn:458800767X 4章「コード化とプログラム化」p.221]

この手の↑の「パラドクス噺」にどれほどの価値があるかということは、こういう↓「いつもどこでも起こるってわけじゃない特殊な事例」としての史実ネタが、〈メディアコード論〉のなかでどのような位置を占めるのか=扱いを受けるのか、ということに依存するはず。

この点について何がいえるかということに関しては、いまの議論水準においては まったくもって明らかではない(と私はおもうがどうか)。
  • 周知のように、かつてこの問題が〔アテネ最高法院がおかれていた〕アレオパゴスにおいて生じたときには、アテナの助力が必要とされたのであった。
  • 現在ではこの問題は、判決を拒絶することを禁止するというかたちで、裁判制度の構成原理のなかに組み込まれている。
  • そしてその問題が今度は成長の原理として働いて、法曹法を生み出してきたのである。

どちらかというと手続法の領域に属するこのケースに加えて、実体法上の問題も存在する。

  • 排除されたパラドクスがシステムへと回帰してくるときに、そしてそれはまたどのようにして生じるかを考えた場合に、その問題が浮上してくるのである。
  • それはすなわち、法の濫用の問題である[p.221-222]



次回は....