ブラットマン『意図・計画・合理的理由』

夕食後半。isbn:4782800894
振り出しに戻って第一章。やっぱりちんぷんかんぷん(死語)ですが...
このプロジェクトは──ブラットマンの主張を額面通りに受け取ると──なかなか野心的なものであるかもしれないことがわかってきた。


■基本的な区別──すべての議論の前提:

心に関わる特徴づけ:意図する(intend)
行為に関わる特徴づけ:意図的に[する](intentionally)
意図でもって[する](with the intention)


■最初の議論の骨子
意図は、我々が暮らしのなかで「プランをもつ」ということのなかに位置づけて──その脈絡における役割という点から・機能的に──論じられるべきだ、というのがブラットマンの主張であり、しかし現在──原著出版は1988年──の「心の哲学」においてはそうなっていない、というのがブラットマンの批判であった。
 ブラットマンに言わせると、現行の議論では、意図についての議論は、

  • a.(「意図する」という)心的状態からではなく、意図的な行為から議論を始める
  • b.(未来に指向した意図ではなく)現在における活動をモデルケースに議論をする

という二つの事情から、

  • 【1】一方では、「未来志向的意図」に関する懐疑が生じ、
  • 【2】他方では──その懐疑と親和的な──、意図を信念に還元する「信念-欲求モデル」が採用される

という事情のもとにあるのだという。
【2】は──すぐ下にメモする──4つのポイントによって規定されているが、これは、これらの採用/不採用の組み合わせによって、主要な論者を──彼/女たちの対立を超えて──割り振ることができてしまう、と標榜される たいへんなものである。ほんとかよおい。


てことで、【1】と【2】についての(テキトーな)抜き書き。

【1】未来指向的意図についての懐疑 [p.6-9]

■端緒: 私は今、明日ユナイテッド航空の便でボストンに飛ぶことを意図している。

ここで私は、単に「明日その飛行機で飛ぶこと」を今日望んで・欲求しているわけではない。
そうではなく、私は、「明日その飛行機で飛ぶこと」に ある意味でコミットしているのである。しかし、

何らかの未来の行為にコミットするとはどういうことなのか。

■行動主義的回答: 「未来志向的意図は、常に現在の意図的な活動のうちに埋め込まれている」

ex. 私は今、明日の便の切符を手に入れるために代理店に向かっている。→将来の行為へのコミットメントは常に、現在の行為のうちに埋め込まれている。

■反論: 「私は明日ユナイテッド航空の便でボストンに飛ぶことを意図しているが、今は小説を読んでいる」←ぜんぜんおかしくない。

私の現在の活動は、非常に広範な範囲の未来のふるまいと矛盾しないだろうが、しかし「意図していること」に含まれるのはごく限られた範囲の未来の振る舞いだけであり、私が今コミットしているのは、そうした未来におけるふるまいの範囲のうちのある小さな部分だけである。

■問い: では、「未来の行為へのコミットメント」とは、「現在の意図的活動」に加うるに、いったい何であるのか。

■「未来指向的意図」に関するトリレンマの登場:

 [p.8-9]

【2】意図にかんする標準的な議論 [p.9-14]

  • (1) 「行為における意図」の方法論的先行性
  • (2) 「行為における意図」に関する欲求-信念理論: 意図的行為ある意図でもって為された行為を、行為者の欲求と信念──またこれらの欲求と信念と適切な関係にある行為──を通じて理解する。
  • (3) 拡張という戦略
  • (4) 未来指向的意図をそれに応じた適切な欲求と信念へと還元する。