アンスコム『インテンション―実践知の考察』検討。再訪。
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- 第3章 意図における知識
- ファルヴィーにおける説明
- ファルヴィーの議論の難点
- 一致の向き
- 意図における知識
- 実践的知識の存在意義
- まとめ
- 第4章 実践的推理と実践的知識
- 実践的推理と実践的知識の関係
- 実践的知識はなぜ「知識」と呼ばれるのか
- 二要素説との衝突の解明
- 実践的知識を正当化するものは何か
- 実践的推理の妥当性
- どのような場合に実践的推理は妥当性を失うのか
- まとめ
大主張
第3章 意図における知識
主題
- 「(観察によらない)知識」を、「正当化された信念」だと解釈する説についての検討
- ファルビー(2000)「意図における知識」 http://www.springerlink.com/content/v347708h87086526/
- Christopher Peacocke (2003). Action: Awareness, Ownership, and Knowledge. in Agency and Self-Awareness: Issues in Philosophy and Psychology (Consciousness and Self-Consciousness Series)
論点
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第4章 実践的推理と実践的知識
主題
- 実践的知識はどのような意味で「知識」と呼ばれるのか。
論点
- 行為(〜実践的知識)の理解可能性
言及される未来とは、次のようなもの、つまり、行為者が自分の行為によってその状態が生じるだろう、と考えていることをわれわれが理解できるようなものでなければならない。(Anscome, 2000, p.35/邦訳 67頁)
[...]
[この]引用箇所からわかるように、アンスコムは「なぜそれをしているのか」という問いに対する 答えにおいて言及される出来事 と、行為者が現にしていること との間に、第三者によって理解可能な結びつきが存在することを要求している。そして、この結びつきを示すことは、行為者が現になしていること から、彼の目指すもの が どのようにして生じてくるのかを示すことに他ならない。すなわち、行為者の答えは、彼が現になしていることによって自分の欲求がどのゆに実現されるのかを、第三者にも理解可能な仕方で説明するものでなければならないのである。[p.77]
実践的知識を用いたこの説明が「第三者にも理解できる」ものであるからこそ、ここに、我々が他人とともに暮らしていくことが出来ることの基盤がある。そしてこれは同時に、「社会学」が成立しうる根拠でもある。