ブラットマン『意図・計画・合理的理由』

夕食。isbn:4782800894
さはさりながら、3年後くらいに考えるかもしれないので、言葉遣いだけでもちょっと整理しておく。第5章「再顧慮と合理性」から。
著作このあたりでの準拠問題は「予めの意図」を再考慮するのが行為者について合理的なのはどんな場合か。区別されているのは、「熟慮」「再考慮」「反省」である(このうち「反省」は索引には載っていない)。
ここで、「熟慮」とはよく考える、「再考慮」とは考え直す というほどの意味である模様。←この理解でいいのかどうかちょっと自信がないのだが、──「熟慮」と「再考慮」といわれてもピンとこないので──「よくよく考える」「考え直す」と言い換えながら、ちょっと先まで進んでみる。・・・だめだったら引き返すということで。

原語は何ですか。>原著所持者

以下 整形しつつの抜粋。

「考え直し」の3種

1. 非反省的にプランを考え直す(/直さない) ──これはよくある。
  • 「考え直し」はふつう「よくよく考える」ことを含んでいるが、だからといって「考え直し」が「よくよく考えること」に基づいているなどとはいえない。
  • ふつう人は、「考え直すかどうか」について「よくよく考えてみる」などということはしない。ただ事を進めてから考え直すのである。
  • 「実際に考え直されるかどうか」を説明するのは、多くの場合、根底にある習慣・技能・傾向性などといったものである。熟慮ではない。
2. よくよく考えたうえでプランを考え直す(/直さない) ──こういうことはあんまりない。
  • 一方で私は、「今年中に本を書き終える」というプランが賢明であったかどうか悩んでいる。
  • 他方で私は、問題を論じ直す場合の心理的コストや、〔やり直した場合に〕それに専念して〔他の事を〕ほとんどなにもできなくなってしまう危険のことも気遣っている。

→そこで私は、「本を今年中に書き終える」という予めのプランを考え直すべきかどうかをよくよく考えることになる。

われわれ自身が限界のある存在であることや、こうした第二階の熟慮のコストを考えれば、このような場合は稀であろう。少しでも「よくよく考えてみよう」とすることは、踏み出すことであり、しばしば、予めのプランを考え直すも同然であろう。それでもこうした「考え直し」が起こることはある。
3. 方針にもとづいてプランを考え直さない(/直す) ──これもよくある。
  • 方針に基づいて考え直さない(/直す)場合、私は「プランを考え直すかどうか」について立ち止まって表立って考える。
とはいえ私は、「よくよく考える(か否か)」の理由となる欲求-信念を、真剣に比較考量するわけではない。この意味で、それは「よくよく考えたうえで、プランを考え直さない」(=2)こととは違う。むしろ、
  • 私は、自分のプランを「どのような場合にはよくよく考えるべき」であるのかについて、自分の一般的な方針に訴えているだけ──方針に基づいて対処しているだけ──である。
たとえば私が、「プランの考え直し」をやめさせるような方針に訴えてプランを考え直さないのだとすれば、この場合は、方針にもとづいてプランを考え直さないのである。
まとめ

「考え直すこと」と「考え直さないこと」の間には注目すべき非対称性もある。

  • 「予めの意図」を考え直す場合には──それが非反省的であっても──考え直すこと自体は意図的な行為だろう。
  • しかし「予めの意図」を考え直さない場合には、それは意図的な行為ではない。
考え直さないことが非反省的な場合には、そのこと自身はふつう、「考え直すのをやめる」という意図的な行為ではない。むしろふつう、
    • 「予めの意図」が(非反省的に)考え直されないということは、単に、その意図に関する考え直しが起こらなかったということなのであり、そのことは、関連する一般的な習慣と傾向性にうったえることによって説明される。[p.117-118]
  ,o/ ∠せんせー、「反省」という言葉の意味が結局わかりませんでした。
  lミiニ!


以上。やはり日本語的にちょっと無理がありますか。