ブラットマン『意図・計画・合理的理由』

朝昼食。
第2&3章再訪。

意図と行為―合理性、計画、実践的推論

意図と行為―合理性、計画、実践的推論

「ちょっと行為論のおさらいをしておこう」と思って読み始めただけなのだが、目的にはまったくふさわしくない選択であった。
ならば道を失っているのかというとそうでもなくて、というか、いまは別のことが気になっている。プランにかんする「意思決定」論的ビジョンとエスノメソドロジーのそれとの関係について。

(それは道を失ってるんじゃ...

独立によめば、両者はそれぞれなりにもっともなビジョンを与えてくれるのだが、つきあわせようとするとまったくすれ違う(いや、おそらく)。 これはどういう事情にあるのか。

プランと状況的行為―人間‐機械コミュニケーションの可能性

プランと状況的行為―人間‐機械コミュニケーションの可能性

合理的選択理論とエスノメソドロジーは──「合理性」をめぐって──ライバルプログラムの関係にあるように思われる。ところが、ルーマンの場合は──同じ言葉を使っていても指している事柄がぜんぜん違うので──、議論のこの地平には(直接は)乗らない。のではないか、というのが現在のところの見通し*なのだが、この点についても い つ か は 時間をとって考えてみたいところ。
* ポイントは「合理性」が一次の事柄なのか、それとも二次の事柄なのか、というところにある。逆にいうと、RCとEMの──合理性を巡る──議論が二次の事柄として解せるなら、三者を乗せうる土俵を設定できるかも知れない。が、いまのところ この件についてはなんの見通しもない。
とか書いてみたが、やはりこんなことは誰か偉い人が考えてくれればよいことであると思い直した。


さはさりながら、いまはそんなこと考えてる余裕もないのでそろそろやめたほうがいいのではないか。