お買いもの:トマス・リッド『サイバネティクス全史』

サイバネティクス全史――人類は思考するマシンに何を夢見たのか

サイバネティクス全史――人類は思考するマシンに何を夢見たのか

  • まえがき
  • マシンの上昇
  • 第1章 戦時の制御と通信 [1940年のドイツの爆撃機
  • 第2章 サイバネティクス [1940年代末]
  • 第3章 オートメーション [1950年代。サイバネーション]
  • 第4章 オーガニズム [1960年代。サイボーグ]
  • 第5章 カルチャー [1970年代。サイバー・カルチャー、カウンター・カルチャー]
  • 第6章 スペース [1980年代。仮想空間]
  • 第7章 アナーキー [1990年代。]
  • 第8章 戦争 [サイバー戦争]
  • マシンの下降

引用

まえがき

012

「神話」…は、事実として間違っていることを言う言葉ではない。神話は事実と矛盾しない。事実を補完するのだ。何かが神話として「機能する」という場合、それは神話に「すぎない」と言っているのではない。まったく逆で、政治や専門世界の神話は実にリアルであり、強力に作用する。さらには観察された紛れもない事実と違和感なく並ぶこともある。神話は少なくとも三通りの形でリアル以上のものなのだ。

014

サイバネティクスの神話は未来を予測できるという強力な錯覚を生む。私を信じなさいと神話は言う。未来はこうなるのですと。それは虚構や予言ではない。まだ起きていない事実なのだ。したがって、技術の神話を未来への効果的で持続可能な道筋として維持するには、つねにそれを使って反復する必要がある。神話の約束を何度も繰り返し述べて、それが福音となり、そうであり続けるようにしなければならない。ドイツの哲学者、ハンス・ブルーメンベルクが著書の『神話に基づく変奏』…で鋭く見て取った、「神話に基づく変奏」が必要なのだ。

訳者あとがき

訳者あとがき

〔語「サイバネティクス」の使用頻度が増大したのち下降する〕世界の歴史を、著者はハンス・ブルーメンベルクの著書『神話の変奏』の概念に依拠して、一つの主題の繰り返される変奏として描き出します。

  • それは、マシンがまず夢のような未来を約束するものとして提示され(見込み)
  • イデアが生まれ、もてはやされ、ある意味では技術が想像を上回って過剰になりそうにもなる(上昇)ものの、
  • 当初に予想/約束された未来は来ず、さらに先の未来に移し替えられて(下降)
  • 次の変奏がはじまる

というものです。元祖「サイバネティクス」に始まり、自動化(オートメーション)、サイボーグ、それをアイテムの一つとして取り入れたサブカルチャー世界、サイバースペース、そこに構想されるアナーキーな社会、さらには情報戦争(サイバーウォー)というように話は進みます。

第1章「戦時の制御と通信」

39-40

草創期には、対空砲兵隊のいろいろな部門が、地形や戦術によっては100メートル以上離れていることもあった。砲兵中隊内の個々の部門は電話線で結ばれていた。標的に当てるには、観測員が士官に電話でデータを伝えなければならなかった。士官はデータを初期の計算機に入れて、結果の数字を得る。それから砲台に電話して標的に向けるためのデータを伝える。… 射撃管制史での重要な役割が、ある電話会社に回ったのもさほど意外なことではないかもしれない。ベル電話研究所という、マンハッタンのAT&Tウェスタンエレクトリック社が創立した強力な研究施設だった。

ベル研の参入により、それ以前はメカニカルな方向だった計算機開発が通信工学方向へと転換する:
43

ブッシュは〔ベル研究所創設者〕ジューエットを新設のNDRCのC部──通信・輸送部──に任用した。元はロックフェラー財団にいた科学行政官ウォーレン・ウィーヴァーはNDRCで D-2 という名称の、砲の照準器やレーダー装置など広い範囲の自動制御研究を指揮していた。ジューエットは射撃管制研究の緊急性を鋭敏に察していて、それを通信の問題と見る見方に傾いていた。ウィーヴァーは同意した。「射撃管制予測問題と通信工学にある一定の基礎的問題の間には、驚くほど近く、もっともな類似がある」とウィーヴァーは後に書いている。

44

ウィーヴァーはベル研究所のグループが電子工学に深い経験があることを評価していた。…初めて、コンピュータ(M-9)がフィードバックループに数学を組み込むことになる。ベルのコンピュータは照準器となり、サインやコサインといった単純な関数の計算が、抵抗器、電位計、サーボメーター、接触子を通じてできるようにした。数値が増幅されて、重い90ミリ対空砲を動かす。

47

ウォーレン・ウィーヴァー指揮下のNDRC射撃管制部は、1940年から45年にかけての五年間で80件に予算をつけた。… 請け負ったのは、事実上、制御システムの世界全体にわたった。… 60件以上が対地空兵器の射撃の問題に取り組んだ。… ウィーヴァーの最大にしてたぶん最も成功した契約は、150万ドルをだしたベル製照準器で、これはM-9を生み出した。D-2で最小の、たぶん最も影響のなかった契約がノーバート・ウィーナーのところへ行った。2000ドルをわずかに上回る、飛行パターンの予測方法を調べる研究だった。

54

ウィーナーの2325ドルの契約は、二年を待たず、1942年末で打ち切られた。

55

工学者としてはウィーナーは失敗していた。ウィーナーの対空予測器は意図通りに動作することはなく、対空射撃を改善しそうにさえならなかった。5年後、ウィーナーはその記念碑的な著書『サイバネティックス』の序論でこの不愉快な話にわかりにくい言い方で触れた。「対空射撃の条件は曲線予測のための専用機器設計の根拠にはならなかった」。

IV 自律兵器の完成:第二次ロンドン防空戦争(1944年6月)
55

その間スペリー社はすでにフィードバックループを大ヒットさせていた。

57

真珠湾の後、「アメリカの産業は文字通り袖をまくり上げて仕事にかかった」。スペリー社の従業員の数は1943年に3万2000人という最大数に達した。戦時中は下請けの22社がスペリー社製品を製造していた。たとえばフォード自動車は対空砲の照準器を生産したし、クライスラーは航空用のジャイロコンパスを製造した。スペリー社の装備を生産している従業員の総数は、戦時中にはゆうに10万を超えるまでに膨らんだ。

スペリー社のフィードバック製品がなければ、マシンも人も砲火の中で動作はできなかった。スペリー社は統一性、結合組織、人とマシンのインターフェースを提供した。

ドイツ製無人飛行機(V-1) vs. アメリカ製対空砲システム
59-60

Dデイ〔1944年6月6日〕の一週間後、ドイツ軍は英仏海峡ごしにロボットを発射し始めた。…まもなくV-1は約50か所の発射台から大英帝国の首都に撃ち込まれるようになった。合計7000発以上の無人爆弾がロンドンへむけて発射された。

60

1944年の夏には、およそ500門の砲が、多くは新型の無線信管を備え、飛来するV-1に対抗すべく配置についていた。… 1944年7月の第四週、海峡を越えて飛来するV-1のうち79%が撃墜された。… 「8月のある日曜、ドイツ軍は105発のV-1を海峡の向こうから発射したが、届いたのは三発だけだった」。

60

1944年晩夏の英仏海峡上空での戦いはめざましかった。ほとんど人間の介入なしに、自律的兵器が別の自動機械を破壊するなどということはかつてなかった。未来の戦争がやってきた。〔イギリス軍将軍〕パイルは当時こう述べている。「今や我々は初めてのロボット同士の戦争が始まるのを見ていた。人間による誤りは徐々に戦いから除去されつつあった。将来はマシンが戦争を全部おこなうだろう」。