森鴎外(1912)「かのやうに」

マーガレット・メール(2017)『歴史と国家: 19世紀日本のナショナル・アイデンティティと学問』第六章末尾から
https://contractio.hateblo.jp/entry/20190904/p2

 森鴎外は「かのやうに」(南北朝正閏論争に触発されて、1912年に発表された)のなかで、畢生の事業は国史研究という若き学者五条秀麿の物語を語る。秀麿は神話と歴史の間の矛盾にすっかり心を奪われている。彼にとって、神話と歴史の区別はきわめて重要である。しかしながら、華族かつ天皇の忠臣として神話を護持する乳の五条子爵(おそらく鴎外が親しかった山県有朋がモデルであろう)に逆らいたくはなかった。秀麿はハンス・ファイヒンガー(Hans Vaihinger, 1852-1933)の著作『かのようにの哲学 Die Philosopie des Als ob』(1911年)を読んで、このジレンマの解決方法を見つけたと確信する。しかしながら、秀麿の友人綾小路は反論して、父親との対決は不可能だというのである。
 史料編纂掛の歴史家たちは、小説「かのやうに」の秀麿のように自己尾を哲学的思索に傾注することはなかった。問題に対する彼らの答えは回避であった。彼らは、社会において責任ある役割を引き受けようという田中の呼びかけを無視して、原史料の収集と史料批判への逃避を続けた。そして、長年にわたり、文書の収集と、個別の史実の実証を強調してきた史料編纂掛の伝統尾は、この朱の態度を助長したのである。(p. 184)