読んだ。http://d.hatena.ne.jp/contractio/20080830
- 作者: 河上倫逸
- 出版社/メーカー: 未来社
- 発売日: 2004/12/01
- メディア: 単行本
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論文選択理由は訳者あとがきに書いてある。はじめにそっちを読めばよかった。
- 本日のまとめ: マックス・プランク研究所は偉かった。
コーイングの論文は1976年に書かれたものだが、法史学における方法論的論争が「デュルケーム v.s ディルタイ」という軸(!!!)でまとめられていてメロンパン噴いた驚かされる。
コーイングは 1912誕-2000没。
[...] 筆者としては、自らがドイツにおいてディルタイとその学派によって展開された文化科学的方法から出発していること、──したがって、筆者の方法の背景には形而上学的な生の哲学とそこから展開されたマックス/シェーラーの哲学的人間学が存在していることについては、詳しくは拙著『法哲学綱要』(...)の第二、第三章を参照されたい。本稿で取り扱われている複合的な問題との関連で、この世界観に基づく、本質的に重要とおもわおれる見解につき、改めてここで明確化しておきたい。
- 文化史学はその対象の故に人間の生の表現形態と関連している。
- 文化史学はこの人間の生の表現形態を有意味なものとして理解することを課題としている。
- この課題は原理的に解決可能である。なぜなら、人間の意識、人間の思考、感情、行為の基本的傾向には──一定の限度内で──一様なものが存在しているので、過去の人間のおかれていた状況や意識を追体験しつつ解釈することが可能だからである。
そうすることによって、とりわけ、過去の時代の人間の秩序観──正義観や実践的に設定された目標を再構成しつつ理解しようとする試みが可能となるのである。- 精神的生や霊的な生の基本傾向とか構造とかにまで立ち戻ることによって、歴史的に理解することは精神的生の体系的ないし構造的考察と結合し、最終的には哲学的人間学と結びつくことになる。
- 保存されてきた生についての資料の個々の解釈のためには、一般的な方法論上の規則と、特殊的な(各々の時代、各々の種類の史料のために特殊的に展開された)方法論上の規則とが存在している。[p.66]
法史学では、偉い人が 1976年にこのように発言できたのであります(!)。
ところでここでは「文化科学」と「精神科学」は互換的に用いられておりますな。
- 作者: 伊東乾
- 出版社/メーカー: 信山社出版
- 発売日: 1999/01
- メディア: 単行本
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