涜書:西村/牧野/舟山編『ディルタイと現代』

ぱらぱらと再訪。

この本を読むと、ディルタイは、人柱というか人身御供というか望んでなった乞食というか、なんかそういうひとだったらしい、ということがわかる。こういう人がたまに出てきて──その人自身は大したこと しなくても──あれこれ無謀なことを言ってフィールドを広範囲に引っ掻き回すことで 結果的に(別のところで)何かが生じる ...こともあるんでしょうな。
生じないことのほうが多いと思うけど。

ディルタイと現代―歴史的理性批判の射程

ディルタイと現代―歴史的理性批判の射程

第III部 第5章「新カント派とディルタイ」 - 「心理学をめぐるディルタイヴィンデルバントとの論争」

 ヴィンデルバントは、ディルタイの 経験科学の「対象的」「存在論的」分類に反対して「方法的」「論理的」分類を提唱する。[...]

[ここから、〈価値自由的-一般化的-方法/価値関係的-個性化的-方法〉図式が登場する。]

[他方、批判を受けたディルタイのほうは、] 方法に対する内容の優位を保ちながらも、ディルタイヴィンデルバントに触発されて、精神科学の方法そのものにも注意を払うようになる。では、精神科学にのみ固有な方法はなにか。それは「解釈学的方法とこれに結びついた批判的方法」である。ここで解釈という「方法」がはじめて真正面から論理的に分析され、それが類比推理であることが明らかにされる。[p.267-270]

なにしてたんだそれまで。

このようにしてディルタイヴィンデルバントとのあいだの互いに敬意を払いきわめて抑制された論争は、ディルタイの思想のいっそうの展開を促し、実り多きものであった。しかし、このあとエビングハウスによって「記述的分析的心理学」は破壊的な批判を受け、ディルタイは急速に精神科学の認識論的基礎づけを解釈学のうちに求めるようになる。
 そして、ディルタイはこの転向を1900年の「解釈学の成立」において宣言する。十九世紀が終わるにあたって、これらの論争を通じて浮かび上がってきた彼の解釈学は、二〇世紀において豊かな思想的可能性を切り拓いた。一方では、マックス・ヴェーバーの科学論の展開に決定的な影響を与え、経済と社会との間の規則性を追求する「理解社会学」の成立に寄与し、他方では[...]。[p.270]

解釈学の成立  改訂版(1981年)

解釈学の成立  改訂版(1981年)


III ディルタイをめぐる哲学者群像 - 第6章 ドイツ社会学の伝統とディルタイ

p.272からの引用。「西欧的形態の社会学」というのは「イギリスとフランスの社会学」のこと。

彼の原理的-歴史的研究において「西欧的」形態の社会学を原則的に退けたにもかかわらず、彼はドイツの文化社会学の最も重要な設立者と見られうる。これらの緊張関係の中からドイツの歴史・社会学的研究に見いだされうるほとんどすべてのものが生まれた。なかんずくマックス・ヴェーバーアルフレードヴェーバー、トレルチ、ゾンバルト、シェーラー、ルカーチなどの研究がそうである。(マンハイム保守主義的思考 (ちくま学芸文庫)』p.14)

  • 本日の一行要約: ディルタイはドイツ社会学に、文化 という対象と 類型論という方法と 理解 という課題を与えたよ
文化

(略)

文化社会学
類型論

一般法則ではなく類型論。──という発想。〈法則/類型〉の対比。

仮説構成のための「理想型」。

理解

自然科学は説明するが、精神科学は理解する。──という発想。〈説明/理解〉の対比。

ディルタイの]影響のもとで、ドイツ社会学に特有の理解社会学が発展することになる。彼は [...] もともとテキストの解釈の技法である理解の方法を拡張し、整備して精神諸科学一般の方法とした。理解の方法においては所与としての生の表出を通じて人間の内面を把握することが問題である。生の表出の形態として、

  1. 概念や判断などの思考形象
  2. 人間の諸行為
  3. 体験の表現

があげられる。 [p.278]




これ、読んでなかったが、社会学のはなしもかいてあるらしい。いつか読む。