三宅雄彦「政治的体験の概念と精神科学的方法(二)」

続き。

  • ニ スメント憲法学説の全体構造
    • 1 いわゆる精神科学的方法
    • 2 いわゆる精神科学的方向
    • 3 政治的体験と国家思考
    • 4 小括
三宅雄彦「政治的体験の概念と精神科学的方法(2)」

なんというスラップスティック(2節)。というかロールプレイング・ゲーム
法学界の「哲学の出店」に陣取った法学者たちが、「哲学的立場」にもとづく代理戦争=大乱闘をしているよ。おもしろすぎる。



今回やること

(改行勝手にいれました)

[...] 次には、この生そのものの探求という観点が、スメント憲法学説において、如何なる形で、編成され構成されているかを検討しなければならない。
 スメント理論における、生の価値、生の力、生の法則、生の権力という観点を、スメント憲法学説においてヨリ評細に検討しヨリ精密に吟味する手掛かりとしては、差し当たっては次の三つがある。つまり、

  • 一つめが、スメントの主著と目される『憲法憲法法』における「精神科学的方法」という方法であり、
  • 二つめが、スメントの方法と同種と目される同時代の他の「精神科学的方向」という潮流であり、
  • 三つめが、スメントが国家理論史において展開する「政治的体験と国家思考」という観点である。[p.678]
訳語のお約束
  • 精神科学的方法 : geisteswissenschaftliche Methode
  • 精神科学的方向 : geisteswissenschaftliche Richtung
    • 精神科学的転換 : geisteswissenschaftliche Wende
  • 政治体験と国家思考 : politisches Erlebnis und Staatsdenken
今回の登場人物
  • オットー・フォン・ギールケ(1841 - 1921)
    • アドルフ・フォン・ハルナック(1851 - 1930)
    • ラインホールト・ゼーベルク(1859 - 1935 )
    • エルンスト・トレルチ(1865 - 1923)
  • エーリッヒ・カウフマン(1880 - 1972):【形而上学】(第二批判──実践理性 - 物自体──の線でひとつ♪)
  • ハンス・ケルゼン(1881 - 1973):【特に名前なし】[新カント派的二分法で裁断してやんよ♪]
  • ルドルフ・スメント(1882-1975):[主人公]
  • ゲアハルト・ライプホルツ(1901 - 1982):【現象学的法学】(形相的還元しちゃうよ♪)
  • ギュンター・ホルシュタイン( - ):【法理念主義】(理念史的方法でね♪)

小活

「スメント本人の言ってることだけじゃ、「精神科学的方法」なるものがなんなのか、よくわからんね」(大意)

 結局のところ、スメント理論における、生の価値、生の力、生の法則、生の権力という観点を、スメント憲法学説においてヨリ詳細に検討しヨリ精密に吟味する手掛かりとして、三つを [...] それぞれ検討したのではあるが、

    • 一つめの論点については、スメント自身による「精神科学的方法」の論述が不明確なままにとどまること、
    • 二つめの論点については、スメント理論が「精神科学的方向」の論者により徹底的に拒否されていたこと、
    • 三つめの論点については、「政治的体験と国家思考」の視座は国家理論史で展開されスメント独自の国家理論としては未完成であったこと、

こうしたことから、この三つの手掛かりはどれも、単独では、スメント理論解明には不十分であると判定されるのである。[p.713]

次回予告

ディルタイの議論を確認してからスメントに戻ってくるしかないねこりゃ」(大意)

 しかしながら、そうはいっても、これら三つの手掛かりは、単独ではスメント理論解明に不十分であるとしても、これらを相互に密接に連関させ相互に親密に結合すれば、実は、ディルタイ哲学によるスメント理論の基礎づけ という新しい視点が湧き起こってくる。つまり、

  • 一つめの「精神科学的方法」の論点についていえば、スメントが独自の方法論的基礎を探索していた当時、哲学界で精神科学の方法として影響力をもっていたのが、ディルタイの「精神諸科学の基礎据え [Grundlegung der Geisteswissenschaften]」、即ち「歴史的理性批判 [Kritik der historischen Vernunft]」の立場だったのであり、
  • 二つめの「精神科学的方向」の論点についていえば、特にその中のホルシュタインの「法理念主義」の立場の基礎となっていたのが、ディルタイの「哲学史的諸作業」だったのであり、
  • 三つめの「政治的体験と国家思考」の論点についていえば、スメントによりこの政治的体験と国家思考の関係とパラレルの位置にあるとされたのが、ディルタイの「体験と詩作」だったのである。[p.714]


ディルタイ哲学によるスメント理論の基礎づけ!!!


なんだか「ザルの代わりに底の抜けた桶を使ってみよう!」と言われてるように聴こえますが。さてどうなりますやら。次回をお楽しみに!!




本日の特筆事項