小池陽慈(2021)『"深読み"の技法 世界と自分に近づくための14章』


  • はじめに
第一部 読むための方法
  1. 読むことと知識1:語彙の重要性
  2. 読むことと知識2:教科書的な知識の重要性
  3. 読むことと知識3:学術的な知識の重要性
  4. 読むことと知識4:同時代言説の重要性
  5. 難解な文とどう格闘するか:学校文法・日本語文法・やさしい日本語という視座
  6. じっくり読むことと、さっと読むこと:精読/俯瞰読み
  7. 要約:内容を端的にまとめる
第二部 読むことの意味
  1. 外国語の文章を読むことの意味:翻訳という視座から
  2. 古文を読むことの意味:現代文読解のための古文
  3. 文学理論を知る意味1:「中心/周縁」理論・他
  4. 文学理論を知る意味2:記号論・テクスト論
  5. 文学理論を知る意味3:脱構築批評
  6. 文学理論を知る意味4:言説の暴力
  7. 広がる読書:次の一冊を見つける
  • おわりに “深読み”の先へ
  • スキルアップシート【読解スキル】

はじめに

  • [003-4] 「深読み。… なるほど。「必要以上に深く読み取る」という意味なんですね。確かにそれをしてしまうと、現代文の問題は解けなくなつてしまいます。… ふむふむ。けれども… 。
     なんか、もったいなくないですか?
     何がと言ぇば、「深い」という言葉は、そもそも、「おお、君の言つていることは、なかなかに深いねぇ!」などと、肯定的な文脈で使われるものですよね。映画や小説や、あるいは漫画などを読んだ後、「深い」とつぶやけば、それはその作品に対する、相当な褒め言葉であるはずです。
     とするならば、「深読み」すなわち「深く読む」の「深く」を、「必要以上に深く」などと否定的な意味で解釈するのはもつたいない。あたかも誤読であるかのようにこの言葉を使うことに、僕はなんだかもやもやしてしまうのです」

 なにがもったいないのかを教えてほしい。
 ちなみに続く箇所で対照されているのは「慌ただしい態度」とか「サッと読んで軽く消費」など。〈深い〉に対比できる例は出てきていない。著者は「はじめに」を、「願わくはこの一冊も、じっくりと、時間をかけてお読みいただければ幸いです。」という言葉で閉めているので、おそらくこの〈じっくりと、時間をかけて〉が「深く」に相当するのだろう。が、そうは書いていないし、だからもちろん、「じっくりと時間をかけて」が なぜ「深い」と言えるのかも書いていない。
 同様にたとえば、次の文の下線(ハイライト)部は、著者が或る読み方について望ましいと信じる理由を述べた箇所としてなら読める。

  • [005] 「時にはその一文、いや、その一単語に徹底的にこだわり、それを々深く,読むために、途方もない時間をかける。そうした時間が、思考を錬磨し、その人の思想を、あるいはその人そのものを形作ってゆく。」

しかしこれは、この読み方に対して他ならぬ〈深読み〉という表現を用いたほうがよい理由については述べていない(私は本書を何度か通読してみたが、他のどの箇所でも述べていないように思う)。
 この著者は、すでに世間で「深読み」という言葉があまりよくない意味で流通していることを指摘した上で、そのことを残念に思い、この言葉の意味・使い方の変更・改定を提案しようとしているわけなので、「なぜ自分の推奨する使い方の方がより良いのか」を述べて読者を説得するという課題を自らに負わせているはずである。が、それをわかっていてやっていないのか、わかっていないからからやっていないのか。どちらなのか判断が付かない。──少なくともこの著者はこの箇所で、自分が書いていないことを読者に納得させようとしている。つまり自分が推奨していない読み方を読者にさせようとしてしまっているわけである。

 ちなみに。もし同じ課題を私が負わされることになったら、私であればどう応えるかを考えてみると: 「深読み」とは、「文書を読んで得た少しだけの手掛かりを元に、文書に書いていないことをたくさん想像すること」である。だから人は、「深読み」をしているときには、文書をきちんとは読んでいない。つまりこの言葉は「読み」以外の・以上のことを指すのに使われていて、その点で不適切である。いま「深読み」と呼ばれているものには、他の言葉をあてた方がよい。──くらいのことは言えるかな。

おわりに

  • [291]「けれども、オースティンの言語論を踏まえた文学受容のあり方に鑑みるなら、当然、"深読み"の先にあるのは、その文章への応答としての、書くという行為であるはずなのです。」

なぜそうなる。