3番目で修復。

先週日曜にお邪魔した研究会で話題になっていた 総帥エマニュエル・シェグロフ大先生の論文。
移行tが 適切なr 箇所p の3番目で修復が起こるときの話らしい──ってのはタイトルみればわかるってば。

違うらしい。(コメント欄をみよ)。

読まねば話についていけないようです。たいへんでーす。がんばりまーす。2周回遅れくらいでついていきますんで。


ところでシェグロフのサイトは書いた論文がすべて pdf になっててすごい。

ってのはいいのだが、これ、売りもんだろ? だいじょぶなのか。

お買いもの

ルーマン『パッシオンとしての恋愛』第7章注28。
これ翻訳出てたのか。調べてみるもんだな。ていうかインターネットってすばらしい(涙

  • イアン・ワット、『イギリス小説の勃興』、橋本宏訳、 鳳書房、1998/10、3,675円、isbn:4900304581

2000円にてゲト。

    • Ian Watt, The Rise of the Novel: Studies in Defoe, Richardson and Fielding, (London, 1957),

Pimlicoのほうが安くて表紙がカコイイ(・∀・)!

CONTENTS

  1. Realism and the novel form
  2. The reading public and the rise of the novel
  3. Robinson Crusoe, individualism and the novel
  4. Defoe as nobelist: Moll Flanders
  5. Love and the novel: Pamela
  6. Private experience and the novel
  7. Richardson as novelist: Clarissa
  8. Fielding and epic theory of the novel
  9. Fielding as novelist: Tom Jones
  10. Realism and the later tradition: a note



ちなみにgoogle:Havelock+Goody+Ong+Watt で一発ヒットする卒業論文

google:ハブロック+グッディ+オング+ワットだとこれ:

お買いもの

  • デフォー、『モル・フランダーズ』(上下)、伊沢龍雄訳、岩波文庫、昭47

1,200円にてゲト。

  • フィールディング、『トム・ジョウンズ』(全4冊)、朱牟田夏雄訳、岩波文庫、1986年

3000円にてゲト。



いかん。これじゃ イギリス文学史百選だ。
しかし『パメラ』に翻訳がないのは痛いなぁ。
あった↓

お返事(ほぼ完遂):ゴーゴー楽士ガカーイ(・∀・)!

25日のエントリhttp://d.hatena.ne.jp/contractio/20040525#1085468313について、
using_pleasure さんからコメントをいただきました。

「質的」調査法の方法論と「比較」を行ってフーコー的な言説分析を位置付ける、というのは趣旨がよく分からん。フーコー本人もそういった調査法と比較されることなど念頭にも置かずに書いたのだろうし、「比較」してどうなるんでしょう??

社会学史学会大会シンポジウム 「歴史社会学」報告概要 から、赤川さん分を再掲示

言説の歴史社会学・序説:赤川学信州大学

  • ミシェル・フーコーの言説分析がめざした志を、社会学がいかに継受できるかを論じる。具体的 には、セクシュアリティジェンダーの領域で開発されてきた言説の歴史社会学(ないし言説史)の方法的特徴を、ライフ・ストーリー、マスメディアの内容分析、エスノメソドロジーに依拠する構築主義など、「質的」とされる方法との比較に基づいて明らかにする。言説の歴史性、言説空間の復元、言説の変容を説明する「whyの問い」の必要性といった論点に関して、議論を深めたい。



以下(当然ながら、赤川さんの意向とはまったくかかわりなく)思うことを思いつくままアトランダムに書いてみるよ。


  • 【Q1】趣旨がよく分からん。
    • 【回答例1】よく分からないので楽しみに待ちましょう。
    • 【回答例2】「社会学者としてフーコーを受け継ぐために、フーコーやりかたを──社会学のコンテクストのなかで──特徴づけたい」、というのがそれなのでは。
  • 【Q2】フーコー本人もそういった調査法と比較されることなど念頭にも置かずに書いたのだろうし、「比較」してどうなるんでしょう??
    • 【回答例3】「社会学(的ななにか)」として読まれることなど念頭にも置かず書かれたであろうフーコーの著作を、社会学者さんたちは既に「社会学(的ななにか)」として=「自分たちのもの」であるかのように 一生懸命読んじゃって来ちゃってしまっている罠。
    • 【回答例4】そのような「読み」──「これは哲学ではない」とか「これは歴史学ではない」とか「これは社会学ではない」とか(以下略)という「読み」──を、読者に、そうした「否認する読み」こそが「正統的なもの」だと読ませるように書くあたりが──ハイデガー同様──、フーコーのずるいとこ*1なのではないかと思われ。
      ブルデュがハイデガーに対して行った「否認の戦略」に関する分析を想起。(ブルデュ自身が、「同じ」批判をフーコーに対して行ってもいたと記憶していますが:「哲学」と「歴史学」の双方に足をおき、双方を拒絶する「素振り*2」によって利得の最大化を図り/実際に利得を得たフーコー。)
    • 【回答例5】一方で、フーコーのおこなった「ワーク」をアナールにおける「歴史的資料」の取り扱い方の「革命」と切り離さずに捉え、他方で、デュルケームを視野の中心に置いて歴史学社会人類学まで含めて考えてみれば、「フーコーの-社会学-内-における-比較」は、それなりに「もっともらしい」と考えてみることもできるのでは。
      • つまり/たとえば、次のような──すこぶるいい加減な図ですが──系譜関係の中でフーコーを考えてみる、というようなこと。
(「前史」としての「実証主義史学」)
デュルケーム
デュルケーム学派
(シミアンとか)
デュルケーム学派
(モースとか)
[継承者消滅]
社会学におけるアカデミックポストの確保失敗と戦死者続出と(モースの研究経営手腕のまずさなどなど)で壊滅]
アナール第1世代
(リュシアン=フェーヴル/マルク=ブロックとか)
によるデュルケミスムの継承
イギリス社会人類学
マリノフスキー、ラドクリフ・ブラウン、エヴァンズ=プリチャードとか)
アナール第2世代
ブローデルとか)
によるその批判的継承
イギリス社会人類学
(サーリンズとか)
ゴッフマン(とか)
アナール第3世代
(いっぱいいろいろとか)
によるその批判的継承
フーコー 人類学あれこれ 社会学あれこれ
(に対する集計的概念としてのコチークとか質的さんとか)
    • 【回答例6】まぁこうした↑「業界系譜図」を考えるかどうかはさておき──そうはいっても結局同じことだと思うんだけど──、フーコーが何を述べたか」フーコーが資料をどのように扱ったか」とが切り離せない、とするならば、それを(フーコー自身の意向とはなんらかかわりなく)「社会学的」な「資料の扱い方」*3との「比較」という「狭い」コンテクストのなかで扱っても、誰に文句を言われる筋合いはないのでは*4

と、以上ちと「資料の扱い」に話が傾き過ぎましたので、また別のことを。

    • 【回答例7】上記の図は、アバウトではあれ/それでももう一つ──それが赤川さんの目論みに関係あるかどうかは別として──、「社会学の立ち上げ」のために、当初ぜひとも必要だった「デュルケーム的なもの*5」を──そこからほぼ一世紀たったいま──どのように-処理-する-か*6、という問いのコンテクストにおいてフーコーを読む可能性に思い至らせるものではあると思います。社会学の「外」に「継承」された「デュルケーム的なもの」の、社会学における「再認」。これはこれで、理論的=学史的に興味深い提題だとは思いますが....。どうでしょうか。
    • 【回答例8】

*1:これが「フーコーってクールじゃないなぁ」と(私に)思わせる点なのですが。

*2:「すぶり」じゃないぞ。念のため。

*3:それを、調査法とか資料操作法とか「呼ぶ」かどうかは別として。

*4:歴史学者」さんが歴史学的資料取り扱い作法というコンテクストにおいて、「人類学者」さんが人類学的資料取り扱い作法というコンテクストにおいて(以下略)、それぞれ「フーコーを読む」ことに文句を言われる筋合いはないだろうことと同じ意味で。

*5:ex.「社会的事実を物のように扱え」格律とか「社会的なもの」とか「集合表象」とか(以下略)。

*6:=どのように-つきあう-か

次のターンで修復

違うらしい。コメント欄に突っ込みが。
これか:

  • Emanuel A. Schegloff: "Repair After Next Turn: The Last Structurally Provided Defense of Intersubjectivity in Conversation."
    in American Journal of Sociology 97:5 (1992), 1295-1345.

なにこれ。長いじゃないのさ! 50ページもあるYOヽ(`Д´)ノ! モウコネエヨ!!

Abstract for Repair_After_Next_Turn

  • Organizational features of ordinary conversation and other talk-in-interaction provide for the routine display of participants' understandings of one anothers' conduct and of the field of action, thereby building in a routine grounding for intersubjectivity. This same organization provides interactants the resources for recognizing breakdowns of intersubjectivity and for repairing them. This article sets the concern with intersubjectivity in theoretical context, sketches the organization by which it is grounded and defended in ordinary interaction, describes the practices by which trouble in understanding is dealt with, and illustrates what happens when this organization fails to function. Some consequences for contemporary theory and inquiry are suggested.

パミラたん

コメント欄にてご教示いただいた。ありがとうございます。

筑摩世界文学大系 (21)

筑摩世界文学大系 (21)

    • 所収『パミラ』(海老池俊治訳)・『トリストラム・シャンディ』(朱牟田夏雄訳)

スターンは、これ、岩波文庫と同じ訳者さんですな。しかもあの馬■小説を 一家に2冊以上おいておくわけにはいかん。
てことで杉並:https://www.library.city.suginami.tokyo.jp/SGWLIB/servlet/search.detail_list?tilcod=8212058740


内容紹介:http://www8.cds.ne.jp/~kousetu/maid/ex-01.html

リチャードソンのパミラというお話は日々是清く生きるメイドさん、パミラが旦那様のいやらしい魔手をかいくぐり悲鳴を挙げ、失神し、詩を読み、説教かまして改心させてラブラブになるという話。

ラブラブ…(;´Д`)イイ