『ワードマップ ベルクソン』刊行準備のために久々に再訪。
- Stuart Hughes, 1958, Consciousness and Society by H. Stuart Hughes(2002-06-11)
- 意識と社会【新装版】 | みすず書房
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第一章 いくつかの予備考察」
- [004]
「歴史家は、気質的に、偉大な業績や高遠な思想の領域にひきつけられている。そしてその傾向は、新らたに社会科学というものを学び知ったことによっても、決して大きな変化をこうむらなかったのである。」
- 時代精神を扱おうとする仕事の三種類
①回顧的文化人類学:一般民衆の観念と実践(民俗と共同体的感情の広大な全領域)を取扱うもの
②倫理-政治的研究:支配的な少数者およびそれにとって代ろうとする敵対的な少数者の活動と抱負とを研究するもの
③さまざまな諸観念の表明と展開についての歴史
①は社会史の一構成部分になので実は思想史ではない(大意)という謎論理が展開されている。思想史が社会史の一構成部分だと何がまずいのだろうか。誰が困るのだろうか。
- [011]
「第一次世界大戦の直前の世代にあっては、これらの思想家たちは心理的な不安という広汎な経験を共有していた。それはつまり、切迫した破滅感、旧来の慣行や制度がもはや社会の現実に適合しなくなったという感じである。これは大陸諸国の多くのひとびとにまつわりついていたものであったが、周辺地域にはごく微弱なかたちで伝わったにすぎなかったのである。」
- [011]
「この古い社会の退譲期という感覚、加うるに次の新しい社会がどのようなかたちのものとなるかはわからないという不安と苦悶、そこにこの研究の時間的範囲をわたくしが限定した理由が暗示されている。その時期は、世紀末から1930年代の大不況期のはじまりまで40年に及んでいる。そして第一次世界大戦をまたいでいる――大戦前の時期の方が大戦後よりもいっそう顕著なあらわれを示しているけれども。この時期にある種の知的な統一が認められるとした諸理由は、研究がさきに進むにしたがってもっとはっきりとしてくることと思う。」
14にマルク・ブロック。15にベルクソン。
ハイデガーの一つ前の世代の話。ハイデガーは、こういう「不安の時代」に少し遅れてやってきて、もっともうまくその精華を簒奪した、ということなんでしょうね。
- [016]
「「一般的社会思想」の意味は、まだこれでもじゅうぶんには明瞭なものとなっていないかもしれない。社会科学の用語でいえば、社会学というのが、わたしのいわんとしているものにいちばん近い。けれども、…」
すごいこと言い始めたな。 - [019] 【話法】 いつか使う。
「つまり、締りのない折衷主義におちいる危険性はあまりにも明瞭だということである。しかし、わたくしはその危険をうまくのり越えられるだろうと信じている。」
20にカッシーラー。
- [021] 【話法】 いつか使う。
「わたくし自身としても、実証主義が好きでないことは、率直に認める。」
第二章 1890年代──実証主義への反逆
- [025] 【話法】 いつか使う。
「しかもペギーとかユングとかの三流の思想家だけである。」
25に「動機づけ motivation」。動機づけは1890年代の流行語だと言ってるね。
- [027]
「ダーウィニズムの応用的ないし「社会的」形態という問題によって、われわれは知的葛藤の核心に到達する。ダーウィンの最初期における支持者たちのうち何人かはオーギュスト・コントの信奉者であったし、実証主義の司祭の二番手、ハーバート・スペンサーは、ダーウィニズムのもつさまざまな可能性を自分の立場を支えるものと感じとって、いち早くダーウィニズムのもとに馳せ参じた。このダーウィニズムとの同盟によって、実証主義的思惟方法はある奇妙な変化をうけた。
本来の十八世紀的ないし功利主義的形態においては、実証主義は主知主義的な哲学であり、社会における人間の問題は合理的解決が容易に可能であるという確信に立っていた。ところが、
社会ダーウィニズムの影響のもとに、実証主義的信条がその合理主義的諸特徴を失ないはじめたのである。」 - [027]
「「遺伝」と「環境」が、人間活動の主要な決定因として、意識的。論理的選択にとって代った。ホッブズ的自然状態(新しく「生存競争」と呼ばれる)が、ひととひととの関係の特性をとらえた見方として、礼儀正しい社会秩序に置き換えられた。」
パーソンズ『社会的行為の構造』は、正しくこの帰結ですね。
- [029]
「基本的にはマルクス主義は、1890年代の知的革新においては、支配的な流行である実証主義の変形的なとくに油断のならない形態としてみられた。マルクス主義は、十八世紀初頭以来ヨーロッパ知識人を魅惑してきた抽象的・擬科学的イデオロギーのうち、最後の、そしてもっとも野心的なものとして、文化の地平線上にあらわれ出たのである。」
- [032]
「ラングベーンが、ドイツの知的生活は教授たちに支配されているといったとき、かれの指摘はまことに正しかった。このことは、おそらく、ドイツの知識人社会をフランスやイタリアのそれから鋭く区別するものであった。ドイツ語を用いる国では、文筆上のアマチュアはラテン系諸国でのような尊敬をうけることはなかった。この領域はほとんど大部分教授たちの独占するところであったのである。」
ドイツ人もたいへんだな。
ベルクソン(1859-1941)登場箇所
- 第一章 15
- 第二章 39, 38~41, 42
- 第六章 137~8, 163
- 第七章 187
- 第八章 189~9o, 192
- 第九章 229, 248,
- 第十章 267, 271, 273, 276, 287,
- 文献に関するノート 291
- 神秘主義者としての 25,107,155,214,289
- への影響の問題 72~ 3,74
- とジェームズ 77
- と直観の使用 77~ 85,93,129,155,178,267
- とユング 105,107
- とソレル 112~ 3,120,121,124,289
- とディルタイ 135
- とクローチェ 155
- と″ベルグソニスム″ 231
- とペギー 234, 237~ 8
- の愛国心 250
- とプルース ト 261~ 2
- ノーベル賞受賞 266
- とバンダ 277,279,280~ 81
- 『宗教と道徳の二源泉』 81,266
- 『意識の直接的与件についての試論』(時間と自由) 80
- 『創造的進化』 77, 78, 81, 83-4
- 『形而上学入門』 80
- 『物質と記憶』 80, 85
- 『思想と動くもの』 82, 85, 137, 261