われわれのテーマは、社会的に行為するということの一根本条件そのものである。ダブル・コンティンジェンシーというこの問題の解決なしには、行為は成立しない。なぜなら、その規定の可能性が欠けているからである。[p.159]
ダブル・コンティンジェンシーの問題が、行為の可能性の不可欠の前提条件であるということ、およびそれゆえに行為システムの要素すなわち行為は、この行為システムにおいてのみ、かつダブル・コンティンジェンシーの問題の解決を通してのみ構成されうるということを、心にとめておかなければならない。
意味を体験している心理システムが見いだされるやいなや、ダブル・コンティンジェンシーの問題は、潜在的につねに存在している。
- 自由な選択をしているとみなされる 他のパースンまたは社会システムに出会うまでは、ダブル・コンティンジェンシーの問題は、焦点付けられないままに あらゆる体験にともなわれている。
- 他のパースンや社会システムに出会うと、ダブル・コンティンジェンシーの問題は、相互の行動の調整問題として顕在化することになる。[p.162]
「社会的次元」と「行為システム」の分出
このようにパーソンズを修正した理解をすると、ダブル・コンティンジェンシーは、二重の効果を有している。
- 一つには、社会の人々のそれぞっれ異なるパースペクティブのための特別な世界次元(社会的次元)の分出が可能となり、
- もう一つには、特別の行為システム(社会システム)の分出が可能になる。
そうすると、社会的なるものは、
- 意味についての解釈パースペクティヴの同一または相違の問題として、あらゆる意味との関連において補足可能となる。と同時に、社会的なるものは、
- その環境とそれ自体を区別しうるシステムにおいて諸行為が選択的に結びつくさいの特別の誘因なのである。
パーソンズの理論的アプローチをこのように修正することによって、現象学とシステム理論、意味分析とシステム/環境-分析が、それぞれ互いに歩み寄ることができることになる。そのためには、ダブル・コンティンジェンシーの問題について、パーソンズの論述の抽象化の水準を超えてさらにいっそう理解を深める必要があるおはいまや歴然としている。[p.163-164]