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合評会メモ用地:http://d.hatena.ne.jp/contractio/20110807

社会の科学〈1〉 (叢書・ウニベルシタス)

社会の科学〈1〉 (叢書・ウニベルシタス)

社会の科学〈2〉 (叢書・ウニベルシタス)

社会の科学〈2〉 (叢書・ウニベルシタス)

1990年刊行。
主題は

  • 「(新しい=よりよい)真なる知識の生産と流通について、事情はどうなっているのか」

第三章 知識

II

知識は、かつて認知的予期を利用し、強調し、いまはその結果とともに再現勢化できる、無数のコミュニケーションの沈殿物である。[p.122]

III [「知識」の特徴付け2: 〈体験/行為〉と因果帰属]
  • 予期のコミュニケーションにおける「(規範的ではなく)認知的であって、かつ、(行為ではなく)体験の結果」という観察のオリエンテーション
    • →この前提を用いた コミュニケーションへの立ち戻り: 「知識の伝達」はこのオリエンテーションのもとで観察される。

第四章 真理

  • 「「事実との合致」としての真理」なる観念が成立し・使用されるためには、(コミュニケーションの発信者・受信者双方の側での)「体験への還元」が──つまり行為の影響の中和が──必要。 id:contractio:19920129#p4
ふつうなら(?)「真理とはなにか」(対応説、整合説、合意説etc.)とかが話題になってよさそうなところで、ルーマンはそのテの話をほとんどしない*(実際にふつうの学問的コミュニケーションに登場するのは「対応説」的な利用法だから)。この点、ひとによっては「科学論的に素朴な」議論に映るかもしれない。しかしそれは関心が違うのである(ルーマンが検討しようとしているのは「正しい真理概念はどのようなものか」ではない)。
かわりに行われるのは、
  • (対応説的な)真理がコミュニケーション内で使用される際に、コミュニケーションはどのような事情になっていなければならないはずであるか。[真理の社会的可能性条件]
  • そうした事情は、歴史的にみて如何に特殊で・如何に前提の多い・人為的なものであるか。
  • それはいつどのように歴史の中に登場したか。
といった議論である。
* なお、三者に関するルーマンの判断は──「真理」ではなく──「進化」の章に登場する:id:contractio:19900123#p808
特に「整合説」については──「他者言及的な真理基準の拒否」という論点として──第6章I にも登場する。