- [12] I 章の課題の提示: 知識の主体への帰属とその帰結
- [10] II 〈情報|伝達|理解〉の綜合としてのコミュニケーション
- [11] III 意識とコミュニケーションの構造的カップリング
- [09] IV 続き。言語について
- [04] V 続き。メディアと形式について
- [03] VI 時間
- [04] VII 知識の帰属、再訪
- [03] VIII 〈システム/環境〉区別
I
p.1
以下の論究では、このような[知識の、人間・主体・意識・個人と称されるものへの]帰属という慣習から解放される必要がある。以下では、少なくともその可能性がありそうな方法を試みる。これを成功させるために、第1章でまず この慣習の特徴を示し、その帰結の概略を描き、理論的な代案に取り組まなければならない。
VII 知識の帰属、再訪
p.52
科学は経験的知覚に依拠しているが、コミュニケーション・システムは知覚できないではないか、と異議を唱えることができるかもしれない。その通り! だが 決定的な問いは、
- どの知覚が どの連関のなかで 知識獲得や知識批判を可能にするのか
ということであり続けるし、この知覚の選択はコミュニケーションによって起こる。さらに 知覚はたいへん選択的なので、説明にとって決定的な要因は また知覚そのもののなかにあるのではなく、知覚のコミュニケーションの選択のなかにある68。
もちろん、通常の用語法だと心理的なシステム言及を含意する 観察、記述、予期、体験などの概念を社会的なシステム言及のなかで、つまりコミュニケーション的でしかない作動に関係させて用いなければならない点には、不満がある。この異例さは、以下で繰り返し痛感せざるを得ないだろう。だが、結果的にやる価値があることを示せれば、この思考の重荷を負えるはずである。
68はブルア。
- 作者: D.ブルア,佐々木力,古川安
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- 発売日: 1985/07
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