ピエール・ブルデュー『住宅市場の社会経済学』

本日の「エスノメソドロジーに対するよくある批判」症例。
原著は2000年、邦訳は2006年の刊行。原著タイトルは「経済の社会的構造」。

住宅市場の社会経済学 (Bourdieu Library)

住宅市場の社会経済学 (Bourdieu Library)

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I部 住宅市場

  • 1章 行為者の性向と生産の界の構造
  • 2章 国家と市場の構築
  • 3章 地方権力の界
  • 4章 強制下の契約
  • 結論 小市民階級の困窮の基盤

II部 経済人類学の諸原理

    • 界の構造
    • 闘争の界としての経済の界
    • 界としての企業
    • 構造と競争
    • 経済のハビトゥス
    • 根拠十分な幻想
  • 後記 ――国民的な界から国際的な界へ
4章「強制下の契約」冒頭からの引用。
1〜3章までの「構造」分析を踏まえて「直接的相互作用」に立ち戻って議論を始める際に、ここで前置きとして一発エスノメソドロジーを disっておこう、という箇所。
 以上見てきたように、構造の分析および行為者-制度間の客観的力関係の分析に長い時間をかけた今、経験的方法または経験主義的方法の正しいあり方として、研究の最初の──しばしば最後になる──契機と呼べるものに立ちいたる。すなわち、売り手と買い手の間の──観察され録音されうる──直接的相互作用に立ちいたるのであり、そのような相互作用は特に、契約というかたちで締めくくられることもある。ところで、不動産取引における買い手と売り手の関係ほど、構造論上の真の姿をみごとに覆い隠す相互作用は、他に存在しない。そして、現実に対する忠実性と経験的資料への留意を口実として、何人かの「談話分析」やエスノメソドロジーの信奉者をまねて、やりとりの表面上の価値だけで満足することほど危険なものはないと言えよう。そうした信奉者は、最近のテクノロジーの発達──特に録音機やとりわけ録画機(ビデオ)──を、自らの超経験主義的見解(たとえ現象学から借りてきた説明で見を守ろうとも、そう呼ばざるをえない)への援軍であり、補強であると考えている。彼らはまた、そのようにして録画録音した行動や発言のなかに、申請にして不可侵なデータを見出したと信じており、このデータを──今日でもいまだに支配的な──「定量」的伝統の信奉者による統計諸表に対決させたりしている。しかし、形として現れた「経験的資料」への服従という実証主義的エピステモロジーに関して、談話分析やエスノメソドロジーの信奉者と定量的伝統の信奉者は、事実上、軌を一にしているのである。

 この絶好の機会をとらえ、相互作用の真実は相互作用の中にはない(事実上、二者の関係はつねに──二名の行為者と、行為者が置かれている空間との──三者の関係である)ということを、指摘しておきたい。不動産融資政策を方向づける行政法規や立法措置から、地域・市町村行政当局や──建築分野における規制を適用させる任務を負った──各種行政機関との間の客観的関係を経て、住宅メーカー間や──住宅メーカーを支援する──銀行間の競争にいたるまで、住宅政策を定義するものはほぼすべて、家の販売員と顧客の間のやり取りで問題となるのだが、そうした事実はほとんど分からない形でしか明らかにならないし、表に出てこない。… 日時・場所のはっきりした相互作用 … は、しかし、銀行の融資能力と顧客との間の客観的関係が状況に応じて現実化したものでしかない。ここに

  • 銀行の金融能力は、(逃げる以外に自由がない顧客をおびやかさないように)如才なく金融能力を行使する任務を負った代理人のうちに、具現化されている。
  • 他方、顧客を定義するものは、それぞれのケースごとの一定の購買力であり、副次的には、購買力を引き立たせる一定の能力である。そして、この能力は文化資本と結びついており、その文化資本それ自体がまた、統計的には購買力と結びついているのである。[pp. 199-200]
ドヤ顔で語れエスノメソドロジー
ビデオ分析に対して、
  • 〈ビデオに撮影され・見て取れるやり取り-を-成立させているもの〉は、ビデオに写っていない
とか文句を言う前に、まず「何か或るものが-そのように-見える」とは どういうことであるのかについて、もっとよく考えてみましょう。