ブクオフさまさま。
- 加國尚志『自然の現象学:メルロ=ポンティと自然の哲学』、晃洋書房、2001/11、3,200円
ポンティ本でホワイトヘッドを(ちょっとだけだが)扱ってるのが珍しい(?)感じ。コレージュ・ド・フランスの講義ノートに言及があるとのこと。
メルロ=ポンティのベルクソン[における「同時性」という論点]に対する解釈の視点は、フッサールの相互主観性概念によると同様、ホワイトヘッドの「自然の移行」の空間的側面および同時性概念に規定されているとみることも可能であろう。[p.194]
とかいう記述があって「へー」とぞ思う。
著作としては評価の分かれるところでしょうな。
本書で、ライプニッツ、シェリング、ホワイトヘッド、メルロ=ポンティという流れを描きながら、「自然の現象学」として指摘したかったのは、有機体はメロディーであり、自然はそのメロディーのハーモニーだ、というユクスキュルの「偉大なタブロー」の重要性である。[p.249 3章二(4)]
云々、とかいうのに憑いていける人には楽しいんでしょうが、私には残念ながら。
「ライプニッツ、シェリング、ホワイトヘッド、メルロ=ポンティ」が「重要だ」などということは、このタイトルで売られている本を手に取る人ならば、読む前から分かっていること。
><
メルロ=ポンティの存在論と情報理論の関係を考察したすぐれた論文として[p.249 3章二(1)]
次の二本があげられているが、文献コピーのコストを払うべきかどうか悩む:
- 廣瀬浩司*3「個体化の多数性と存在の統一のかなたに(情報・エネルギー・システム)」(『東京大学教養学部外国語科研究紀要』第42巻第2号、1994)
- 廣瀬浩司「舟なき軌跡としての生──メルロ=ポンティにおける生命科学*4」(筑波大学『言語文化論集』第45号、1997)
が、いちおうメモっとこう。
*1:似たようなものに「生命の哲学」とか。「生命論」とか(w。そういえば「オートポイエーシス」も、ソレ系のアイドル用語((C)河本英夫)として そこそこ人気を博しているようで おめでてーな。
*2:どうして「自然科学(のテクスト(!))の-哲学による-再-記述」という、もっとましで・もっと適切で・もっと慎ましく・もっと正確で・もっと正直(以下同様以下略)な 看板を掲げないのか? 「それだと 偉そうにみえない から」なのか?──という疑いは生じるにしても。
*3:どこかで拝見したお名前ですね と思ったら、『主体の後に誰が来るのか?』/『歓待について』の訳者だった。
*4:タイトルのつけ方 あからさまに間違ってるねぇ(ポンティが「生命科学」の研究をしたか!?してねーよ!)。 謂うなら「メルロ=ポンティにとっての生命科学」か「メルロ=ポンティ(のテクスト)における生命科学の扱われ方」か、のどっちかじゃねーの? そう書かないのは「それだと(以下略)。 つーか俺の日本語感覚が間違ってるのかなぁ...。まぁいいけど。