Familiarity, Confidence, Trust再訪2

ルーマンの論文「FCT」〔PDF:hidex訳〕を読み返す、シリーズ。

さしあたり、頻出する「システム への confidence」という表現に狙いをつけて、この論文のどこがどう「わからないか」を 敷衍してみよう、というのが以下の基本的な趣旨です。

おや? 文体が「ですます」に戻ってる。まぁいいか。


すでに確認したように この論文の前半部では、<trust/confidence>区別が <内部帰属/外部帰属>区別に関係づけられて 呈示されています(tab.01参照)。そして、

ここですぐさま「ではその帰属ってのはなんのことなんだ?」ということが問題になるわけですが(そしてこれはこれで、よく考えると とても難しいあれこれ*1が絡んでくる事柄であるのですが)、その点をまずは さておいて/少なくとも
「帰属」を介して<trust/confidence>を区別するということは、同時に、次のことを含意しているはずです。すなわち:

  • 信頼とは「何かに対する信頼」である。
    が、<trust/confidence>という区別が第一に狙っているのは、その「何に対しての信頼なのか」ということではない

ということ*。

* hidexさんの初発の疑念は、ここに関係していたのかもしれません。つまり、酒井が「システムリファレンスの違い」という言葉を使ったのをみて、それが「信頼対象の違い」を含意していると理解したうえで、「それは違う」と指摘していただいたのかも知れません。これは誤解ですが、しかし、もっともな誤解で(ありえま)す。‥‥ということで、やはりこの論脈で「システムリファレンス」という言葉を使うのは、よくない気がしてきました。ので、改めて・正式に、この表現は撤回しておきます。
ただし、こうした前提の上で 「システムへのconfidence」という表現が使われていても、しかしそのことだけでは、なんら矛盾も理解の困難さも生じません。理解困難になるのは、さらに次の点をあわせて考えようとする場合です(ルーマン先生語用例表@FCTを参照):

  1. <パーソナルな関係におけるtrust/システムにおけるconfidence>といった対比
  2. <リスキーな選択の問題か/システムへのconfidenceか>[III05]といった対比
  3. 「システムにおけるconfidence」、「システムへのconfidence」という二つ表現が、互換的に見える仕方で併用されていること

このうち、

  1. が──既述の──、この論文「FCT」における<trust/confidence>区別と、著作『信頼』における<パーソナルな信頼/システム信頼>区別との平行性問題を引き起こすものであり、
  2. は、<選択帰属/信頼対象>というぁゃιぃ対比になっているところが疑問を生じさせるものであり、
  3. は、「における」と「への」が、それぞれいったいどのような事態を指示しているのか、そしてそもそも“同じこと”を指示しているのか(またさらにそもそも、この表現でもって“同じこと”を指示しうるのか)、といった疑問を引き起こすもの、です。

(特に(2)は、これだけでは「対比」として失当しており、何らかの迂回をへた上でないと理解できないものです。)

to be continued...

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*1:特に、<決定/無視>という対比は難しい。「決定」が「心的過程」ではないということを考え合わせると、さらに難しい。