(3/28) ルーマンフォーラムプレゼンツ北田暁大『責任と正義:リベラリズムの居場所』合評会

「第1部」17名、「第2部」15名の参加を得て、盛況のうちに幕を閉じました。
公開されているものだけ見ても、もう 笑うしかない ような過酷なスケジュールの合間を縫って参加していただいた筆者の北田暁大さん、はるばる海の向こうから──北田さんをして「それ自体がひとつの作品であるような」と言わしめた、見事な、しかし異様なレジュメを用意して──登場してくれた 評者の高橋徹さん、そして参加していただいたすべてのみなさんに、まずは深く御礼を。
会のほうは、丁々発止のディスカッションが大いに盛り上がる、というようなものではぜんぜんなく、参加者一同*1がほとんど絶句に近い状態に陥っている、という、不思議な、しかし静かな盛り上がりを見せた合評会であったといえるかもしれません。それもこれもたぶん、高橋さんのレジュメに原因があるように思いますが、これは、近く『日曜社会学』のほうに「合評会コーナー」を作ってアップする予定。

沢木耕太郎の「おばあさんが死んだ」というノンフィクションを題材に、北田本に登場する概念装置を「練習問題として使ってみる」ことを通じて、北田本の射程を測ると同時に そのさらなる可能性をも考えさせることになっている、というものでした。ただしこれを楽しむには──というか、読書会参加者と同様に「苦しむには」、といったほうがよいかもしれないですが、──北田本と沢木本の両方を読んだ上で、このレジュメを読む必要があります。

この恐るべきレジュメもさることながら、それに対して──ほとんどの参加者が絶句状態に陥っているなかで、独り矢面(?)にたちつつ──、紆余曲折したジグザグのリプライを、しかし とつとつと 紡いでいく北田さんの姿も感動的でした。 ‥‥まぁともかく、前代未聞の合評会だったのではないかな、と(自画自賛)。



合評回の最中、レコーダーを回してはいたので、時間がゆるせば、文字に起こして、サイトのほうに報告をアップできればと考えてます(が、たぶん時間がないので気長にお待ちくださーい)。


*1:こちらの顔ぶれも、けっこうすごかった──と私は思うのだが。しかしみんなほぼ絶句(w。