本日のランチはエールリッヒ先生と。
- オイゲン・エールリッヒ(1918)、『法律的論理』、河上倫逸+M.フーブリヒト訳、3,885円、332頁、みすず書房、ISBN:4622017725、1987/10
1章&5章。
さとけんさんのお勧めにしたがって こっち↑を先に読んでみることにしたものの.....
見事にわけがわからない(哀。
さとけんせんせー、『論理』のほうは、法学・法史の教養がバリバリに必要なんじゃないでしょうかー、とつぶやいてみるテスト。しかし超絶悪文家ニクラス・ルーマンさんとの付き合いの長さは、私をこんなところで諦めさせはしません*1。
困るのは、エールリッヒの議論がどっちを向いているか、が分からないこと。逆に言えば、どこに向かっているかがわかれば、とりあえず「わからんものはわからんままに」してても、読んではいける。
とりあえず1章をワケワカランままに読みageたところで、再度目次を眺めてみると。
『法律的論理』目次
第1部 法律的論理の歴史的基礎
- 訴権法における法規への拘束性
- 普通法における法規への拘束性
- 国家的法観
- 統一体としての法という観念
- 法律的論理の根本問題
- 近代制定法典
第2部 法律的論理の方法
- 論理的導出
- 法規の拡張
- 法律的構成
- 法律的論理の価値
「論理の歴史編」と「論理の方法編」の2部構成になってます。 第1部については5章〜6章あたりがまとめになってるはず。で、しかも5章のタイトルがめちゃめちゃに怪しい....
てことで、5章を読んでみたところ、次の文章がヒット。冒頭:
法規への拘束性、国家的法観、統一体としての法という観念──以上の法律的論理の三つの根本前提は、ヨーロッパ大陸の法律家にとっては現在でもなお、通常は、それ以上挙証する必要のない自明の公理と看倣されている。しかしながら、厳密に考察してみれば解ることなのであるが、そのような前提は、その各々が固有の歴史を有し、それぞれの歴史を通じてのみ理解し得るような法律的論理の構成部分へと分解されてしまうのである。その際、歴史の流れの中でそうした構成部分は、さまざまの変貌を遂げたのであって、今日支配的となっているような形を取るに至ったのは、ようやく19世紀のことだった。そして、それらが辿った長い歴史の道程を追求した、法史学者の眼だけが、時として、それらの現代的形態の中に、その始原的な意味の痕跡を認識し得るのである。[139頁]
ちゃんと、1章〜4章までの章立てとも対応してるね。
なので。この主張が1〜4章で、歴史的素材を以って どんなふうに敷衍されてるかを確認する、という読み方をすればよいはず♪
という方針で、2章以下を読んでいくことにしましょう>わたし♪
*1:威張るようなことか。