西垣通大先生『基礎情報学』isbn:4757101201 を もはや巡らずに

新訂カンタン系さんが、こう書いてるのを見て、途中で眠くなって書くのをやめてたのを思い出しましたがw:

 日曜社会学さんからのトラックバックに応答しなくては……。ようやく会社から逃げ切れたのだし……。すいません、今週は死に体でした。盆近くに残業なんてしたくないのですが、盆が近づくから残業をするわけで、父さん。

父さんじゃない。

いやまぁあの。いいっすよ、もう巡らんでも。ねぇ。
とりあえず「続き」に何書こうとしたかだけでも思い出しておくと。こんなことだったかな、と思うんですが:

この本の「価値」は、参照されているルーマンその他に関する「知識」がなくても、ちゃんと判断できる筈だ。なぜなら、この著作が掲げている次の二つの主張を吟味できればよいだけだから:

  • 【11】社会を記述する前提として、自然・機械・生命・社会を包括的に捉える視点が必要だ。
      • 【12】なので情報学には「生命論」が必要だ。
        (〜機械だけでなく生命にも適用できるように、情報概念の拡張が必要だ。)
  • 【21】宇宙というのは「階層的」にできている。社会も「階層的」にできている。
      • 【22】なので情報学には「階層論」が必要だ。

[ついでにこちらも参照のこと:



この著作は、【1】&【2】を基本主張として掲げているわけなので、当然のことながら、その著作内で、少なくともこれ↓のどちらかは なされていないと看板倒れです。

    • 【1】【2】の主張が正しいことを示せている

か、

    • 【1】【2】を前提にすると何が言えるか(何ができるか)を示せている

か。
両方言えてる方が、そりゃいいわけですが、少なくともこれを「学的に何かを主張した著作」として市場に出す限りはこれらの少なくともどちらかは言えてないとまずい。そしてそれはまた、読者が、この著作だけを読んで(少なくともおおむね)検討できるように書かれていないとまずいはずです。

これは「学的に何かを主張すること」の基本的な作法にかかわること。
私自身は、この本が、この↑どちらにもまったく成功していない*と判断したので、そのことをもって駄本だと述べているわけですけど、この私の「判断」のほうについては「議論」の余地がありうるとしても、「作法」のほうは、そもそも「議論」するような事柄ではない。
* この著作がダメなのは、べつに「ルーマン解釈がまちがっている」からではないです。どの本についても言えることですが、仮に──極端な話──その著作で参照されているものの「解釈」がすべていい加減(or ダメ)でも、上のどちらかに成功していれば**、少なくともその点で、その著作は「学的な価値」を持ち得ます。あるいは少なくとも「価値の検討の余地」が生じます。
逆に言うと、いくら「解釈」が正しくても、上記のどちらかができていなければ(以下略)、というわけです。西垣さんは「解釈」にも「主張の提示」にも失敗しているので二重にダメダメだ、というだけ。
** ま、あまりありそうにない想定ですがw。


これ↑を言うことによって、私は何がいいたいのか。というのをもう一度確認しておくと。

    • 「西垣氏が参照しているものについての知識」が欠けていても、この著作の吟味はできるはずなので、
      ルーマンなんか知らないし」的な──関係ない──ことを言うのはへんですよ、

ということでした。
そんなことなので、私は「こんな本を読書会で読むのをやめろ」とかいうことは言ってない(し言わない)です。

この本よりはほかの本を選んだ方が楽しいだろう、とは思いますが。
また、

『基礎情報学』にしろ『ケータイを持ったサル』にしろ『開かれ』(これは読み終わってないけど)にしろ、記号の送受信をする動物みたいな存在として人間をとらえている書籍が、東浩紀動物化」以後膾炙されるようになったよねー的な軽い感じで読書会をやろうと思っていたのです(各書籍の本筋を無視していますが)。

と書いてらっしゃいますが、べつにこれで「各書籍の本筋を無視してい」ることにはならないとも思います。



で、「読書会」はやめちゃうんですか?



うわーんごめんなさい。
トラックバックしたら、間違って3本も送っちゃいました。最初の二つは削除しちゃってくださーい。