問い直せ〜♪
問い直せ〜♪
いまいちど〜♪ 問い直せ〜♪
「〜の現在」ってタイトルも〜♪ 問い直せ〜♪
http://pe-seminar.hp.infoseek.co.jp/
本年度倫理学会におきまして、下記のようなワークショップが催されます。ご興味のおありの方は、是非ご参加ください。
「哲学的/倫理学的思考の現在:現代的な諸問題との緊張関係において」 現代的な諸問題に対して、哲学的/倫理学的な思考はどのように対するべきだろうか。近年、哲学の実効性が問いかえされる中、様々な形態の応用哲学/倫理学の試みがなされている。生命、環境、情報、共生、等々、多様な言葉に託された「応用」の可能性は、すでに広く模索されているといえるだろう。思考する者が自身参与している実際の情況の身の丈にあわせて思考すること、それは単に不可避であるのみならず、哲学的/倫理学的思考にとってその本質と結びあうことである。だが、そうした要請に応えるために、「応用」だけがある特化した領域を形成するべきなのだろうか。現代的な諸問題に対して哲学的/倫理学的に思考することは、どのようなことであるのか、今一度問い直してみたい。
提題1…倫理学的思考の現場性をめぐって(仮題) 麻生博之(東京経済大学)
- 倫理学が現実へと応答するという言い方は、おそらく転倒をはらんでいるように思われる。なぜなら、倫理学もまた既存の現実にくみこまれた一つの営みであるというばかりでなく、そもそも倫理学的な思考が開始されるのが、ほかならぬ現実のただなかでしかないように思われるからである。倫理学的思考のそのような現場は、しかしあらためて問うなら、いかなるものであるのだろうか。つまり、倫理学的な思考がはじまる、あるいははじまらざるをえないのは、どのような現場においてなのだろうか。そのことをめぐって、若干の問題提起をしてみたい。
提題2…「灰色の領域」で暴力をかんがえる(仮題) 大川正彦(東京外国語大学)
- 最近の「応用倫理学」では、たんなるオウヨウではなく、日々の現場への応答として真摯な試みがなされつつある。そこからは学ぶべきこと、学びを解きほぐすべきことが多々あるにはちがいないのだが、はたして、そうして得られる学び、あるいは学びの解きほぐしは、どのように、フツウの日常に贈り返されてくるのだろうか。ともに生きている呼応可能なあいだがらだけではなく、死なれた他者、死なせた他者、これから生まれてくるだろう他者とのあいだで、しかも、善か悪かの道徳的判断をつけることがそもそも不遜でもあるかもしれないような「灰色の領域」のまっただなかで、倫理を問うとはどういうことか。議論の緒がつかめれば、とおもう。
提題3…「啓蒙」される現場:応用倫理学のイデオロギーについて(仮題) 荒谷大輔(東京大学COE研究員)
- 「応用倫理」が志向する大きな目的のひとつは、「現場への応答」ということであろう。だが、なぜそれは目指されるべきなのか。おそろしく乱暴にいえば、そこには大きく二つの要因があるといえる。ひとつは、独立した権威を標榜する(かのように見える)「学問」に対する、市場経済の要求であり、もうひとつは、観念的で思弁的な抽象に対する、---かつてマルクスが展開したような---ある根源的な批判である。こうした二つの要因は、学の「商品化」をめぐって、互いに真っ向から対立するものでありながら、しかし、同時に互いに無関係ではありえないものとしてある。発表は、こうした認識に基づきながら、現在の応用倫理学がはらんでいるイデオロギーについて、いくつかの問題を提起することを目指す。