『考古学』拾遺

原さんにコメントをいただきました。ありがとうございます。私も「お返事」というよりは・やはり「コメント」になるであろうものを。
原さん曰く:

  • [01] まず、ぼくはあまり「歴史学」には頓着していないですね。 読む機会があるのは、たいてい「書物の歴史」、「電信の歴史」、「映画史」など、よりマニアックには「ストラスブールの××工場の歴史」などになります。こうしたテーマ的な歴史は、対象そのものによって、かなり長くも短くもなります。
  • [02] フーコーが、いわゆるニューヒストリーを考慮していたのは間違いないと思うのですが、ぼくの頭のなかでは、「長い歴史」がかならずしも単一的なアナール学派を指すようにはイメージできないのです。
  • [03] くだらない話ですが、「世界の歴史」「フランス史」などの本は果てしなく長い歴史になりますよね。たしかに時期は長いのですが、よくよく厳密に考えると、「世界の歴史」のなかには人為的による以外は連続性がないのに、あたかも連続するかのように語られてきたのが古い歴史のようにも思われます。
  • [04] アナール学派の単一的な特徴があるとしたら、やはり「匂い」「売春」「地中海」「書物」などの、「テーマ」をベースに歴史を扱うという点ではないでしょうか。



[01] について:
その点については私も同じです*1。ただし、私の場合は単に、歴史学に疎いという事情によるものですが。いまフーコーを再読してみようと思っているのは、主に、「過去を記述する事はどんなことなのか」という問い

が、「(社会を)記述するというのはどんなこと(であるべき)なのか」という、もう一つ大きな問いに対して格別に重要な意味を持つと思われる限りで、それ
と関係してのことだったのでした。
もう少しだけ敷衍(?)すると、フーコーは、とりたてて明確で自覚的な「方法論」を持たぬままに3つの本を書き、そのあとでそれを振り返る為に『考古学』を書いたわけですが、彼自身はそこで、自分が何を達成でき・どんな問題にぶち当たったと考え、またそれをどういうやりかたでクリアしようとしたのか(またできなかったのか)‥‥という点が気になっているわけです。そう書いてみると‥‥ これはまぁごくごく凡庸かつ素朴な疑問ですねw。
あとは、フーコーの課題を引き継いだハッキングと、(ちょうど読書会を組織して、これから読んで行くことになっている)ハーヴェイ・サックスの議論とを比べながら、そこから社会学的記述(のお作法)について何かいえるのではないだろうか、という予感をもっている。──というほどの話に過ぎません。


[02] について:
この点が──今回、『考古学』(周辺)を再読して──確認したかったことでした。現時点での結論は──原さんの見解とちょうど逆になってしまうように思えますが──、フーコーが「長い歴史」という言葉で指しているのはアナールである」です。
インタビュー(66)の中では固有名詞を出して指示しているわけですし。 [59] の中では「歴史学の知がそのことを証言してもう五十年になろうというのだ。」という言葉も使っています(もちろん「50年」は「単一的なアナール学派」を指示しません*2。 が、フーコーの議論が、アナールの第一世代を真っ先に狙っていることまでは示しているはずです)。 また [59] の冒頭の箇所も、私には、ほとんど固有名詞を挙げている よ う に 読める箇所です。


この分野について、原さんと私との間には、素人と学者ほどの*3知識の懸隔があることは自覚していますから、「私の知らないフーコー」や「私の知らない(他の)知識」に基づいて、原さんが別の見解を引き出しうる可能性を否定はしません。が、少なくともいま私の手元にある文献(『考古学』『集成3』『ディスクールの秩序』)だけに限って言えば、上のようにいえるだろう、といまのところは考えています。


[04] について:
私のほうは──『考古学』周辺の論考を読み直してみるまでは──、「アナール派の特徴」というものがもしあるとすれば*4、それは「資料の拡張」だろう、と漠然と考えていたわけです。それはそれで間違っているようには思わないのですが、この点に関して興味深かったのが、フーコーの次の発言でした。[59:0104]

私たちの時代において、それらの学問[=歴史学、そしてより一般的に、歴史的な学問領域]を印しづけた大きな変化とは、

  • それらの学問の領域が経済的メカニズムにまで拡大したことにあるのではない。
    • そのようなことならずっと以前から知られていた。
  • あるいはまた、イデオロギー的諸現象や、思考の諸様式や、心性の諸型が、それらの歴史的学問に組み込まれたことでもない。
    • そのようなことであれば十九世紀にはすでに分析が行われていた。

大きな変化とはむしろ非連続性の変換である。

これが印象深いのは、「経済学への依拠(/計量的手法の導入)」も「心性の諸型についての着目」も、ふつうに「アナール派*5特徴」として語られているところのものであることであるのに、

そしてまたそれらは──私が漠然と想定していた──「史料の拡張」ということに関わっているものであるわけですが、
それらをあっさりと否定してみせているからです。ということは?
上にも書いたように、フーコーのこの発言は、

    • アナール派(の第1・第2世代)に積極的かつ思い切り追随する姿勢をみせている

ように読めるものですが、しかしそれはまた、

    • これまで通常「アナールの特徴」とされてきたもの以外のところでの──したがって、アナールへの評価をフーコーなりにやりなおしたうえでの──「追随」だ、

ということなのだ、と読めるものです。 したがって/さらに──ここからストレートに──、『知の考古学』の課題(の少なくとも一つ)は、

    • 「アナールの仕事をどう評価したらよいのか」ということへの、フーコーなりの答えをだす事だ

ということも言えるはずでしょう。

問題は──私によくわからなかったのはw──、「で? それ[=大きな変化とはむしろ非連続性の変換である]ってのは結局どういうことなの?」ということなわけですが。


これに関連してもう2点。
まず(──これは [03] とも関わるかも知れませんが)。
「長い歴史」が、アナールの「通常の評価」の(主要な)一つである以上、ここで導きだされる結論(のコロラリー)が、

    • 結局、「長い」とか「短い」とかいったことが問題ではないのだ

ということになる、ということであれば、私はその見解に賛成する事ができます。が、それはあくまで、「結論(のコロラリー)」としてであって「前提」としてではありません。問題は──当然ですが──結論にどうやってたどりついたのか、ということのほうですから。(そのプロセスがみえなければ──これも当然の事ですが──、検討を加える事もできないわけですし)。 したがって──逆に──、フーコーが実際に・おおむね「短い歴史」を書いたからといって、そのことから、それをフーコーのスタンス(の特徴付け)として使う事にも疑問を感じます。

メディオロジーの立場から「考古学」を読むときに、最大のポイントとなるのは、ルロワ=グーランの人類学のような「長い歴史」(メディア圏)をとるか、それともエピステモロジーのような切断の歴史をとるか、という問題である。
[‥]「短い歴史」の分析方法の導入として、「考古学」に学ぶことは大きな意味がある。[『メディオロジー入門』2-5

しかし..... ──「「長い」とか「短い」とかいったことが問題ではないのではないだろうか?」と言いたくなるわけです。


そしてもう一点。
アナール派を「「テーマ」をベースに歴史を扱うという点」で特徴づけることにも疑問を感じます。

もっとも、特に第三世代以降についてはそう言えそうな気もしますが。まぁしかし、私は、特に第三世代以降については よい読者ではないですし、確たる事を言う自信はまったくありませんので*6、ただちに言い換えましょう。──こうはいえないでしょうか:
フーコーが(少なくとも『考古学』時代においては)擁護しようとしたアナール」と、「「テーマ」をベースに歴史を扱う」というやり方は、ほとんど水と油の関係にあるのではないか。
 というのは
この話をしようとするとどうしても『考古学』の内容に立ち入らなければならなくなりますが、しかし手短にいえば
それは、フーコーが『考古学』のなかで延々としている議論のうちの一つ、つまり、「記述対象・記述領域の存立を、研究に先んじて決めてかかるというのはまずいんじゃないか」(大意)という議論に抵触しそうに思われるからです。
 この点については──私などよりはるかに時間をかけて考えておられるであろう──原さんの見解を、もう少し詳しく伺ってみたいところではありますが...。

*1:ここで私は別に、アナールを擁護したり(過剰に)評価したりしたがっているわけではありません。念のため。

*2:示唆するのはむしろ逆のこと。
いずれにせよ。私はここで、「フーコーが指しているのはアナールだけである」という(強い)主張をしているわけではないので、この点は、私の認識には響きません。

*3:というかそうなわけですが。

*4:という仮定は はなはだ怪しいですが。

*5:あるいは「アナール以来の」

*6:第一第二についてもそれはそうなのですが、第三世代以降については、邦訳されている出版物に限っても、気軽に「フォローする」というには量が多過ぎますw。