涜書:『生命科学のための物理化学』

夜食後半。フェルスター山師文書検討のために またまた別の教科書をひっぱりだしてきて物凄い勢いで通読。

生命科学のための物理化学〈上〉

生命科学のための物理化学〈上〉

生命科学のための物理化学〈下〉

生命科学のための物理化学〈下〉

読んでいて、参照文献や図表が 60〜70年代に集中していることに気づく。フェルスター山師がなんで──高分子の属性を特徴づけるために 物理化学的(量子論的-統計力学的)議論にではなく情報論にうったえる、などという──DQNな議論構成をしてるのか激しく謎だったのだが*、現在常識となっている生化学的-高分子化学的手法[ex. 分光学とか比熱の測定とか]と知見は、山師が論文を書いた60年代半ばには、まさに立ち上げの最中で、教科書的常識ではなかった(り、そもそも発見されていなかった)りしたのだ、という──あたりまえといえばあたりまえの──可能性に思い至る。
なるほど。あれは「望みの無い可能性」に賭けたバイオエナジェティクスの累々たる屍の一体であったか。それはそれで歴史的に貴重な価値をもつものなのかもしれない(嘘)。

* こうしたミスリードの首謀者は──フェルスター山師自身も参考文献にageている──シュレーディンガー『生命とは何か』であった可能性が高いようにもおもい、確認しようと段ボールを漁るが出てこず。まぁいっか。